金館長の誠意に動かされた旧隊員
731部隊は1945年、ハルビン平房区にあった大量の施設を爆破処理した。731部隊の隊長だった石井四郎は士官や兵士に、「731部隊の秘密は墓まで持って行け」と命令した。731部隊の旧隊員は日本帰国後、隠遁者のようにひっそりと暮らしており、見つけ出すのは困難だった。
金隊長の証拠集めを助けたのは、731部隊の問題を研究する日本の団体や個人だった。「彼らは731部隊の旧隊員が見つかると自ら連絡してくれた」。だが金館長によると、全部で50人余りの元隊員と接触したが、証拠集めができたのは30人に満たなかった。
ある元隊員は最初から会ってくれなかった。別の元隊員は会ってはくれたが、何も話してくれなかった。ある人は日本人にだけ語り、中国人には口を開こうとしなかった。ある人は何度も接触したが失敗続きだったが、病床に伏して死期が近いことを悟って初めて語り始めた。
だが金館長の誠実さに打たれて口を開いた人も少なくない。ある元隊員は、金館長が3度訪ねても証言してくれなかったが、日本を離れる最後になって居酒屋で取材に応じてくれた。この元隊員は、「何度も来てくれたあなたを失望させて帰したくない。私がしたことをあなたに話したい」と金館長に語り始めたという。
多くの731部隊の元隊員にとって、彼らの一生を壊した「731の秘密」を打ち明けることは、解放でもあった。元隊員の鈴木進は金成民にこう語った。「私はソ連の女性が毒ガスで殺されるのをこの目で見た。その光景は頭の中にくっきりと刻まれ、寝る時になると幽霊のように浮かんで来た。こうして打ち明けたらだいぶ楽になった」
「鉄の証拠」を後世の人々の戒めに