豪州が対中強硬路線を放棄、日本と距離を置く

豪州が対中強硬路線を放棄、日本と距離を置く。 アボット首相(2013年9月に就任)が当選してから3ヶ月後、中国の高官はオーストラリアのビショップ外相に対して、双方の相互信頼関係が損なわれ、両国関係の健全な発展が悪影響を受けたと述べた…

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発信時間: 2015-02-08 09:05:01 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

アボット首相(2013年9月に就任)が当選してから3ヶ月後、中国の高官はオーストラリアのビショップ外相に対して、双方の相互信頼関係が損なわれ、両国関係の健全な発展が悪影響を受けたと述べた。オーストラリアの最も舵取りが難しい二国間関係が、軌道から外れた。豪サイトが伝えた。

アボット首相は当選してから1ヶ月後、オーストラリアのアジアで最良のパートナーは日本だと突如表明し、この食い違いを生じさせた。アボット首相はさらに一ヶ月後、日本をオーストラリアの「頼れる同盟国」とする踏み込んだ発言をした。中国が2013年11月に東中国海の防空識別圏を設定したことを突如発表すると、ビショップ外相は中国の大使を呼び出し、さらに公の場で意思表示をした。オーストラリアは2013年末の時点で、東中国海の島嶼を巡る問題で、中立的な立場を堅持しなくなった可能性がある。これは中国の高官がオーストラリアの外相に対して不満を表明した原因だ。

しかし習近平国家主席が2014年にオーストラリアを訪問すると、上述したすべてが帳消しにされ、自由貿易区はおろか、全面的な戦略的パートナーシップが結ばれるほどになった。それでは、いったい何が起きたのだろうか?シドニー工科大学豪中関係研究院は、アボット政権の発足から16ヶ月に渡る豪中関係を振り返り、強硬路線は最初の3ヶ月しか維持されず、その後は制限を受けたと分析した。オーストラリア政府は、すぐに対中関係に適応した。

アボット首相が2014年4月に訪日した際に、この外交の調整が明らかに示された。アボット首相は日本を「最良のパートナー」、「頼れる同盟国」とは呼ばなかった。中国は2014年5月、西沙諸島に石油掘削リグを配置し、ベトナムとの関係を緊張化させた。しかし在オーストラリア中国大使館の大使は呼び出しを受けず、ビショップ外相も特にコメントを出さなかった。オーストラリア外務貿易省がメディアを通じて発表した声明は、中立の立場を明確にし、関係国に対して緊張情勢を和らげるよう呼びかけた。

その後、一連の敏感な問題で、より明らかな合図が示された。デビッド・ジョンストン前国防相は昨年6月、「太平洋安全保障条約(ANZUS条約)」により、中日の間で武力衝突が発生した場合に責任を負うことになるかと質問された際に、「そうは思わない」と回答した。これは政治的な激震をもたらさず、アレクサンダー・ダウナー元外相が2004年に台湾海峡問題の発言で混乱を引き起こしたこととは対照的だった。

同時に、中国側にも新たな変化が生じつつある。習近平主席の外交政策は、世界との力強い「ウィンウィン」の交流を強調している。完璧なオーストラリア訪問、自由貿易協定の交渉終了は、新たな外交政策・行動の象徴になった。(筆者:ボブ・カール豪元外相)

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年2月8日

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