オーストラリアのピーター・コスグローブ総督は27日に海南島老欧村を訪問し、戦時中に海南島に連れて来られたオーストラリアの兵士、彼らを支援した中国人に敬意を表した。オーストラリア放送協会が29日に伝えた。
日本が1941年に真珠湾を爆撃すると、オーストラリアはオランダ領東インドを防衛するため、インドネシアのアンボン島に部隊を派遣した。ところがこの部隊は、日本軍の捕虜になった。捕虜の3分の1は栄養不良や疾患により死亡し、数百人が日本軍によって海南島に連行された。彼らはオランダ軍の捕虜や中国の一般人と共に労働者にさせられた。中国人民の抗日戦争中に同部隊の10人が逃走し、中国人から保護された。彼らは中国の遊撃隊に加わり、中国兵と共に日本軍と戦った。老欧村には大型の墓地があり、オーストラリア兵のものと思われる遺骨が埋められている。現在は「私たちは忘れない」と書かれている、彼らを追悼する墓碑が立てられている。その隣には、海南島の数百人のオーストラリア兵、彼らを支援してくれた中国人の苦難が書かれた記念碑が立てられている。
コスグローブ総督は27日に老欧村で、「これは第二次大戦の悲しみと謎に満ちた事件の一つだ。この部隊はアンボン島で孤立し、生き残る希望はなかった。彼らは数日間の戦闘の後に捕虜にされた。彼らの多くはアンボン島で監禁され、健康状況は悪かった。海南島に連れて来られた捕虜は、労働者にさせられた。当時は条件が悪く、多くの人が命を落とした。脱走した兵士たちも、死の運命から逃れることができなかった」と語った。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年3月30日