世界遺産登録などを話し合う今年の第39回世界遺産委員会は6月28日から7月8日までドイツ・ボンで開かれる。安倍政権はこの会議で、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の登録成功に向けた取り組みを行っている。日本の首相官邸ホームページでもこの事業は大きく扱われている。表面的には「産業遺産」登録の話にしか聞こえないが、近代日本の殖民統治や拡張、野蛮な侵略を正当化しようという意図が隠されているとの見方もある。
根拠はいくつかある。第一に、敏感な時期と重なっていること。安倍政権は2015年に「明治日本の産業革命遺産」の登録を成功させたいとしているが、「日清戦争」(中国語名:甲午戦争)の勝利120周年、日露戦争の勝利110周年の時期とも重なる。
第二に、申請遺産の中身にも疑わしい部分が含まれている。「産業革命遺産」は鉄鋼や造船、石炭などの各産業にまたがり、日本海軍の三重津海軍所跡や下関の前田砲台跡、さらには「三菱重工業長崎造船所」内の複数の関連資産が含まれている。この造船所で建造された神風型駆逐艦「白露号」は1937年の淞滬会戦(第二次上海事変)に参加した。戦艦「霧島」は真珠湾奇襲に使われ、戦艦の「日向」や「武蔵」は日本海軍の連合艦隊の旗艦だった。また「天城」は、戦争中に破壊された空母としては日本さらに世界でも最後のものとなっている。
兵器を直接生産していた長崎造船所のほか、「産業革命遺産」には福岡県の「旧官営八幡製鉄所」も含まれる。甲午戦争後、日本政府は中国の賠償金のうち2000万円近くを創設資金とし、ドイツから設備と技術を導入し、戦前の最大の国営製鉄所である八幡製鉄所を設立した。日本政府はこの製鉄所の生産の中心が、砲台や軍艦材料、速射砲弾素材などの兵器であることをはっきりと指示している。資料によると、1905年から1945年までの40年間で日本は中国撫順から2億トンの良質な石炭を持ち去ったが、これらの石炭はこの製鉄所に注ぎ込まれた。また1938年に中国侵略日本軍が湖北大冶を占領すると、現地の鉄鉱が集中的に採掘され、7年間で420万トンの良質な鉄鉱が略奪された。鉄鉱はやはりこの製鉄所に送られた。第2次大戦中、日本軍が使用した戦艦や戦車などの大型兵器には八幡製鉄所で生産された鋼材が大量に使われていた。甲午戦争の賠償金で作られ、日本の侵略・拡張の歴史において重要な役割を演じた製鉄場を、安倍政権は、日本が「非西欧地区で最も早く工業化した国家」となった有力な証拠として喧伝しているのである。