「黄河以北の第18集団軍に行たければ、右手の親指と人差し指を出してそのほかの指は握る。新四軍に行きたければ、4本の指を出せばいい」。
これは、四川省建川博物館の「飛虎奇兵館」に陳列されている抗戦時期の米国の貴重な史料に記された文であり、米軍がパイロットに教えた八路軍と新四軍の見分け方である。
建川博物館の樊建川館長はこのほど、新華社の記者に米国のあまり知られていない史料を見せ、抗戦時期に中共軍隊の優良品質と日本軍が米軍兵士に乱暴をはたらいたことを明かした。
日本軍は生きた米軍パイロットの遺体を焼却
第二次世界大戦の中国戦で、多くの外国と中国の軍人が日本侵略に抵抗したが、「フライング・タイガース」と呼ばれる米国の中国支援航空隊(1943年に米陸軍第14航空隊に編成)はその中で有名な部隊の1つである。抗戦時期、中国支援米空軍は日本軍に深刻なダメージを与えたが、自らも悲惨な傷を負った。
日本軍は中国支援作戦を行なう米軍パイロットを憎んだ。「飛虎奇兵館」で、記者は日本軍による残虐な行為の記録を目にした。
1944年12月16日、日本軍は湖北省応城市で東京爆撃任務を終えたばかりの3人の米軍パイロットを捕獲し、自白を迫った後、寒い中で傷だらけの米軍兵士に下着姿で漢口市内を4マイル歩かせた。翌日、日本軍は彼らを火葬場に連れて行き、30分いたぶった後に焼却炉に入れた。当時の米軍パイロットの1人は今も生きている。
樊建川館長によると、これらの文物は1943年から1945年に米国のMIS-X(米国軍事情報局X課)に属していたヒル少佐が寄贈したものである。当時、この部門のコードネームは「AGAS」で、中国で打ち落とされた同盟軍の空軍戦争捕虜の救助を担っていた。ヒル少佐は1944年に中国に派遣され、空軍捕虜兵の秘密逃亡網を作り、8カ月間で46人のパイロットを救い、1945年の抗戦勝利時に武漢で行なわれた受降式にも参加した。