中日関係には最近、一定の改善傾向が現れ、両国の世論と国際社会の幅広い評価と歓迎を受けている。だがこの傾向が脆弱さをはらんでいることにも注意する必要がある。人民日報海外版が伝えた。
安倍内閣は確かに、中国にかかわる敏感な問題についてトーンを抑えている。両国首脳が昨年11月に顔を合わせてからは特に、日本政府の中国に対する態度は明らかに自制的なものとなった。安部首相も徐々に理解し始めたようだ。2年余りにわたる「地球儀を俯瞰する外交」と「価値観外交」では中国牽制の「包囲圏」を形成することはできなかった。強硬姿勢のぶつかり合いで中国に臨むことは何ら効果を上げないだけでなく、自らを外交上の守勢に追い込んだ。誤った歴史観も世界に通用しないだけでなく、壁にぶつかり、自らを道徳上の被告席に立たせることとなった。
なぜこうした状況が生まれたのか。根本的に言えば、日本がいくつかの問題を本当には理解しておらず、長期的に考えようとしていないためである。理解しようとせず、長期的に考えようとしていない、さらには分からないふりを決め込んでいるためとも言えるかもしれない。主に次の2つの問題である。
第一に、対中関係の改善には誠意が必要だということだ。
中日双方が昨年達成した両国関係の処理・改善のための「4つの原則的共通認識」は、原則的な内容を盛り込んだものにすぎないが、その精神ははっきりしている。歴史問題に対する態度は、中日関係の改善に日本が誠意を持っているかの試金石となる。安倍首相は、日本側は4つの原則的共通認識を守る、「村山談話」を含む歴代政権の歴史問題についての認識を堅持するという立場に変化はないと語った。だが実際には、安倍首相は「村山談話」の核心を回避している。訪米中も「侵略」「殖民」「お詫び」のようなキーワードを避けた。いかに歴史問題に対するかではドイツが日本の手本となる。だが安倍首相はこれに学ぼうとせず、中韓等の隣国の正義の声にも耳を傾けようとしない。安倍首相は本心ではまだ、歴史問題に対して国際的な公平と正義、人類の良知に合った態度を示すことに抵抗があるようだ。歴史問題に対して正しい認識と態度を欠いていることは、中日関係の発展を妨げる障害となる。