上海閘北公安支局は21日、警察当局がこのほど、名前や身分を変えて21年間にわたり海外逃亡を続けていた趙という容疑者を逮捕したことを明らかにした。趙容疑者は1994年、詐欺の罪に問われ海外に逃亡、逃亡先の日本で結婚して子供をもうけた上、日本国籍を取得した。上海閘北警察は、長年粘り強く趙容疑者の行方を追い、ついに先日の逮捕にこぎつけた。新華網が伝えた。
「警察の皆さん、あなた方に力があるのなら、日本に来て私を逮捕してみたら?関係のない両親や友人を巻き込まないで」―趙容疑者が発したこの言葉は、事件を担当した人民警察の記憶に新しい。上海市閘北公安分局経偵支隊の龔警官は、「海外逃亡犯がこのような大口をたたくことは、法律を軽く見ている証拠。時間や労力がどれだけかかろうとも、彼女を捕まえなければならなかった」と話した。
趙容疑者は1994年、某企業から商品代金36万5千元を騙し取ったとして、契約詐欺罪で閘北公安ネットワークに追われる立場となった。それから長い年月の間に、担当警察官は何度も代わり、初期の担当者の中には定年退職を迎えた人もいた。だが、閘北経偵支隊は、捜査を諦めることなく、張容疑者を追い続けた。両親の住む実家や友人宅を定期的に訪問し、近隣の住民に聞き込み調査を行った。
担当警官は2014年4月、浅倉という名前の男の子が、趙容疑者の実家に一時期住んでいたという事実を突き止めた。この情報が警察の眼に止まった。この男の子について調べていくと、男の子の母親・浅倉夫人の存在が明らかになった。この母親は、単に親戚や友人の家に居候していたにすぎないのだろうか?それとも別の事情があったのか?
関連情報について調べていくうちに、この浅倉夫人の生年月日が、趙容疑者と同じであることが判明した。この事実と2人の写真から、警察は、浅倉夫人が、日本で改名して21年間逃亡生活を続けている趙容疑者に違いないと断定した。趙容疑者が逃亡先の日本で変えた名前や身分がついに明るみに出たことは幸いだったが、残念なことに、人民警察は彼女を逮捕する絶好のチャンスをみすみす逃してしまった。彼女はその数日前、上海を発ち日本に渡った。
約1年後、浅倉夫人は再び日本から上海に戻ってきた。自分の本当の身分は誰にも気づかれていないと思い込んでいた彼女は、手ぐすねを引いて待っていた閘北経偵支隊の警察官に逮捕された。
浅倉容疑者は、逮捕された後、警察に対し、「今回の上海行きについて、ずっと良くない予感があった。その予感が本当に的中してしまった。あなたたちが私を追って20年あまり、まだあきらめていないとは思いも寄らなかった」と無念そうに話した。
法のネットワークは極めて広く、通りが良く、漏れはない。趙容疑者は、上海閘北経偵支隊網が、公安部(省)が展開する海外逃亡経済犯を対象とした取締特別行動「猟狐(キツネ狩り)2015」において逮捕された2番目のケースとなった。
「人民網日本語版」2015年5月23日