7月7日は「七七事変」(盧溝橋事件)の78周年の記念日である。1937年7月7日、日本の侵略者は宛平城を砲撃し、国内外を震撼させた。日本軍国主義に対する中国人民の全面的な抗戦はここから始まった。1931年の「九一八事変」(満州事変)から数えれば中国の抗日戦争は14年にわたるが、その前半6年は局地的な抗戦、後半8年は全面的な抗戦と分けることができる。中国の抗戦の歴史を世界の反ファシズム戦争の歴史の枠組に入れて考察することは、重要な刑事を与えてくれる。環球時報が伝えた。(文:宋方敏・昆侖策研究院常務副院長、解放軍少将)
中国の抗戦は欧州の戦場より早く始まり、遅く終わった
中国の抗戦が世界の反ファシズム戦争に支払った代価と犠牲、貢献は比類のないもので、世界の重視を受けるべきものである。中国の抗戦はこれまで、世界の第二次大戦史上における正当な位置付けを欠いてきた。中国に対する西側諸国の偏見によるものでもあるが、中国自身の研究や総結、宣伝も不十分である。
中国の抗戦は欧州での戦争よりも早く始まり、遅く終わった。ドイツのポーランド侵攻によって欧州に火の手が上がったのは1938年9月である。1943年9月8日にはイタリアが降伏し、1945年5月7日にはドイツが降伏文書に調印した。その間7年。中国では1931年に局地的な抗戦が始まり、1937年には全面的な抗戦へと拡大した。日本の代表が米国の戦艦「ミズーリ号」上で降伏文書に調印したのは1945年9月2日、中国侵略日本軍総司令の岡村寧次が南京で中国陸軍総司令の何応欽に降伏文書を手渡したのは同9月9日で、14年にわたって戦火が続いた。欧州での戦争の期間と比べれば、中国は2回にわたって第二次大戦を経験したこととなる。