歴史は一枚の鏡だ。日本の右派にとって、ポツダム宣言は直視できない「照魔鏡」だ。
70年前の7月、世界の反ファシズム戦争の全面的な勝利を前にし、中米ソの首脳と外相がドイツのポツダムで会議を開いた。各国は同月26日にポツダム宣言を発表し、日本に降伏を促した。ポツダム宣言で再確認されたカイロ宣言は、戦後の国際秩序を示す最も基礎的な文書であり、国連憲章の制定や国連の設立の根拠である。
ファシズムの悪性腫瘍が人類に空前絶後の災いをもたらした時代、ポツダム宣言は良知と正義が悪と闇に打ち勝つことを示した。ポツダム宣言の6条には、「吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス」と明記されている。ポツダム宣言はさらに、「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」と強調している。
この重大な文書の成果に対して、日本政府はこれを受け入れ履行すると繰り返してきたが、歴史を直視したがらない日本の右派はこれを目の上の瘤とした。ポツダム宣言の、日本の軍国主義による侵略の罪の定義と厳粛なる処理は、軍国主義の影に隠れ「帝国の夢」を見る日本の右派を照らし出している。そのため彼らは日本政府がポツダム宣言を無条件で受け入れ履行するという、正式な承諾に背き続けている。右翼の歴史観を持つ安倍首相は再任後、「侵略に定義はない」という論調を打ち出し、公然と靖国神社を参拝し、歴史教科書を改定し、「慰安婦」などの問題で歴史に大きく逆行した。さらには「侵略」、「植民地支配」、「おわび」といった、戦後の日本政府の歴史的談話のキーワードを、政治的・外交的なカードとしており、あいまいな態度を示している。これはポツダム宣言の精神にもとり、冒涜している。