今年は、世界反ファシズム戦争と中国人民抗日戦争の勝利70周年の年である。世界各国が歴史を振り返り、未来を展望するこの特別な年に、日本の政府と指導者がいかなる姿勢でこの侵略の歴史に向き合い、アジアの被害国の国民と向き合うかは、日本とアジアの隣国との関係にかかわり、日本の発展の行方に対する国際社会の判断に影響する。日本の指導者はまもなく歴史問題などについて新たな首相談話を発表するが、中国や韓国などの被害国と国際社会はこれを高く注目している。だが日本の「朝日新聞」の9日の報道によると、8月14日に発表される戦後70年の「安倍談話」の草稿には、アジアの国々への「謝罪」というキーワードは含まれておらず、関係国の強い反発を免れ得ない。
偉大な国家と民族は歴史を直視する勇気を持つものである。歴史を忘れるということは裏切りを意味し、罪を否定することはこれを再び犯すことを意味する。日本は、歴史を鑑(かがみ)としてこそ、未来に向かうことができる。さもなければ、構築される未来は、根のない木、源のない水に等しく、これを育てていくことはできない。
日本の政府と指導者は、歴史と人民に対する責任ある態度を取り、「村山談話」などこれまでに歴史問題について形成されてきた立場と約束を守り、新たな談話を通じて戦争の性質と責任を明確化し、「侵略と植民統治」などの罪を深く反省し、心からの謝罪をする必要がある。さもなければ日本とアジアの隣国との歴史の和解を始めることはできず、日本が未来に向かって国際社会に貢献することも夢物語になってしまう。
虎の首につけた鈴をはずせるのは鈴をつけた人だけである(問題を解決できるのは問題を起こした本人である)。ドイツの首相がポーランドで跪き、ドイツ民族は立ち上がった。日本が歴史の被告席にとどまり続けるのか、歴史の重荷を卸して身軽に進んでいくのか、日本はよく考えなければならない。第二次大戦終70周年の今、日本には、戦争被害国の人々へのはっきりとした釈明がこれまでになく求められている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年8月10日