日本軍国主義は対中侵略戦争において、国際条約に違反して生物兵器、すなわち細菌兵器を開発、使用した。この罪は戦後の東京裁判では覆い隠された。だがソ連は対日戦で日本軍人多数を捕虜にしたことから、1949年12月25日から同月30日にかけてソ連臨海軍区軍事法廷で元関東軍第731細菌部隊が戦争中に細菌戦を実施した罪について裁判を行った。すなわち「ハバロフスク裁判」だ。裁判は関東軍司令官の山田乙三および731部隊幹部の梶塚隆二、高橋隆篤ら12人を細菌兵器の製造、人体実験、最近作戦の実施などで有罪と認定した。1950年にモスクワ外国語書籍出版局は、元日本陸軍軍人による細菌兵器の準備と使用についての裁判の資料を中国語で出版した。ここでは同書から山田の供述を抜粋する。新華網が伝えた。
(1949年12月6日)
山田乙三、元日本関東軍総司令官
私は満州に着いて関東軍総司令官に就任した際、軍医部長梶塚と獣医部長高橋の1944年7月の報告で、私の管轄する第731および第100細菌部隊が細菌兵器を研究し、大量に製造していることを知った。
ほどなくして私は細菌兵器準備作業を監督点検するため、自ら第731部隊を視察した。これは1944年8月の事で、私は細菌兵器の研究と大量製造の作業を自ら視察した。私は部隊の作業を視察した際、細菌兵器としての細菌の大量生産の規模を見て、実に驚いた。私は視察後、この作業を称賛し、その継続を承認した。私の関東軍総司令官在任中、第731部隊および第100部隊は引き続き最も効果的な細菌兵器を研究し、かつ戦闘兵器としての致命的な細菌を大量に生産した。
第100部隊の細菌戦準備作業は、軍事破壊活動を担っていた。つまり病原菌で牧場、家畜、貯水池を汚染することだ。この方面で第100部隊の作業は関東軍司令部偵察部と緊密に結びついていた。私は第100部隊の一般任務に照らして、同部隊内で細菌兵器の製造およびこうした兵器の使用の研究に関する作業に従事していたことを知っていた。
第731部隊は部隊内で製造した細菌兵器の効力を実験するため、かつて研究室内および戦闘環境に近い野外条件下で、生きている人間に対してこの兵器を使用する実験を行った。野外条件下の実験は第731部隊が安達駅近くに特別に設けた射撃場で行われた。(編集NA)
「人民網日本語版」2015年8月11日