「リトルボーイ」と「ファットマン」は、70年前に広島と長崎に投下された原爆だ。原爆は日本の「一億玉砕」の決意を徹底的に打ち破り、日本がアジアに対して発動した侵略戦争の終結を早め、罪深き第二次大戦を終わらせた。しかし原爆は20数万人の日本人の命を奪い、また40数万人が負傷・放射能汚染・中毒によって後に死亡した。
核兵器という大量破壊兵器がもたらした被害は、全世界の平和を愛する人々に名状しがたいショックを与えた。しかしながら唯一の被爆国である日本は、核兵器に対して非常に曖昧な態度を持っている。日本にはどのような下心があるのだろうか?
「非核三原則」(核兵器をもたず、つくらず、もちこませず)は日本の国策として、歴代政権に対して強い拘束力を持っていた。原爆の生存者は立場を明らかにし、日本が核保有国になることに断固反対している。
しかし一方、日本は核保有を諦めたことがない。日本は第二次大戦中に核兵器の研究を行い、ナチスドイツと技術協力を行った。「非核三原則」という呪文は敗戦後、日本の核保有の野心を打ち消すことができなかった。核兵器の発展はもはや一部の右翼分子の狂気じみた発想ではなく、日本の与野党や民間からもこのような主張が絶えない。
安倍首相は8月6日、広島市で開かれた原爆投下70周年祈念式典で定例となっているあいさつを行い、意図してかせずしてか非核三原則に言及しなかった。安倍首相はその後の長崎でのあいさつで、非核三原則に言及した。観測筋は、安倍首相がこうするのはやむを得ないことだったと指摘した。広島のあいさつで非核三原則に言及しなかったことで、安倍首相は国内外から痛烈な批判を浴び、方針変更を迫られたのだ。
核保有を求める民間の声も高まっている。読売新聞が2006年に実施した世論調査では、回答者の80%が核保有に反対していた。しかし2015年になると、回答者の89.3%が政府の核兵器の発展に支持を表明した。
ギリシャ神話の「ダモクレスの剣」のように、核兵器は人々の頭上にぶら下がっている。この剣がいつ落ちてくるか、人類にどのような恐るべき災いをもたらすかは、誰にも予想できない。この剣によって深手を負った日本は、この剣を拾い再び高く掲げようとしている。国際社会はこの動きに対して、深い関心を寄せ警戒を強めるべきではないだろうか。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2015年8月11日