2.言葉をもてあそび、心中に「やむを得ない気持ち」「安倍談話」は「村山談話」の約4倍の分量を使い、19世紀にアジアへ押し寄せてきた西洋諸国の植民地支配の波から説き起こしている。その目的は日本軍国主義の侵略という犯罪行為を一般化し、戦争の性質と戦争責任という2大焦点への世の人々の注目を分散させることしかない。ちょうどこの二つのキーワードの問題では意を尽くさず、極力ごまかしている。談話は3分の1近くを使い、日本が「進むべき進路を誤」った時代と国際的な背景について詳しく述べている。その意図は対外侵略戦争があの時代の弱肉強食、ジャングルのおきての下における自然な選択だったと強調することにある。これは「同罪論」の印象を感じさせる。
談話の中の「反省」「おわび」も同様に、日本の「歴代内閣の立場」を「繰り返し表明」する文脈の下で現れる。安倍首相の「やむを得ずしている」態度はまず、彼自身の戦争歴史観と談話内の「反省」「おわび」などの内容が直接衝突していることから来ている。次に、恐らく彼の周辺の政治的支持者に対する「配慮」の気持ちから来ている。そうした人々は安倍首相の2度にわたる首相就任を支持した土台であり、さらに彼の政治理念の同調者でもあるということは周知のとおりだ。