テーブルにステーキが置かれると、おもむろに肉を小さく切り、口に入れ、噛み締める。そして「このステーキを作ったシェフは35歳ぐらいの男性で、今日は機嫌がいいみたいですね」とつぶやく。この不思議な一幕を演じたのは、日本料理界で「食の神」と呼ばれる日本の著名料理評論家、山本益博さんだ。
日本の美食評論家の第一人者になる 山本さんは東京の浅草で生まれた。10歳の頃にはすでに、東京の寿司や蕎麦、天ぷら、うな丼など伝統的料理に興味を持ち、早稲田大学第二文学部を卒業してからは美食をこよなく愛するようになった。そして美食鑑定を専門とする道を歩み始め、日本を代表する美食評論家となった。
「私の前、日本にそんな職業はありませんでした」と山本さんは美食評論家になったきっかけを話す際に言った。1960年代から70年代にかけて東京レストランガイドは3冊しかなかったが、「私はガイドで紹介されている寿司屋を全部回ってみました」。
当時、美味しい寿司を食べたときはいつも、この料理の背後にいる料理人に対する敬意が生まれた。そして自然にこれら名人に会い、料理の背後にある物語を知りたいと思うようになった。「これを仕事にできたら、とても面白いはずだ」と考え、この職業が生まれることになった。こうして、美食を愛する山本さんは職業としての美食家の道を歩み始めた。美
食の追求を40年以上続けてきた山本さんは、様々な重量級の栄誉を勝ち取っている。美食評論集『東京・味のグランプリ』を出版するとともに、多くのシェフと共に様々なイベントを企画し、やがて日本の飲食評論の鼻祖となった。数十年来のパートナーで「寿司の神様」と呼ばれる、ミシュラン三ツ星職人の小野二郎氏も、今では空前の成功を収め、世界にその名が知られている。