革新力を大切にしてきた日本だが、その努力にふさわしい効果がなかなか出ないのはなぜか。中小企業を守り、革新を促すため、1950年代に日本は「外資法」を打ち出した。技術導入は自国産業の健全な発展に資するものであるべきで、中小企業や国内技術の発展に害を及ぼしてはならないとするものだ。慶応大学経済学部の井村喜代子名誉教授は、鋼鉄・化学工業・機械製造・ミクロ電子などの分野における日本の技術は、ほとんどが米国、一部が欧州からの導入だが、本土化により一気に世界の先端を走るようになったとし、「日本が産業革新に没頭した時、米国は戦争で手が回らない状態だった。朝鮮戦争は、新型の重化学工業の革新の好機をもたらしてくれた。そしてベトナム戦争により、米国の消費市場は日本に明け渡されてしまった。それだけでなく、ベトナム周辺、特に新興工業経済地域になったシンガポール・タイ・中国台湾・中国香港も日本製品の重要な輸出先になった。こうした二つの戦争がなかったら、日本の革新が成功し、しかも世界市場に認められるチャンスは少なかっただろう」と話す。
1990年代、日本政府は「米国の技術依存からの脱却」というスローガンを掲げたほか、独自の技術革新による新産業の牽引を強調した関連の科学技術白書を発表した。日本は1995年に「科学技術基本法」を制定し、「科学技術立国」から「科学技術創造立国」へと戦略方針を転換した。しかし、残念なことに、こうした革新意識で不景気の影から抜け出すことはできなかった。国が保守を国策として確立させた後に踏み止まることは、他国に追い抜かれても何もしないのと同じである。すでに巨大規模の産業製造能力を備える老舗企業が突破を求めて新製品の開発や管理モデルの革新を断行するのは難しい。たとえば、21世紀に入り、デジタル化はすでに産業発展の新たな方向になったが、テープレコーダーやフィルムカメラを捨てるように稼動したばかりの生産ラインを切り捨てる度胸は日本企業にあるのだろうか。市場を失う寸前の商品の生産ラインは日本にたくさんあり、新工場の建設にも、革新に対する巨額資金の需要にも支障をきたしていた。もちろん、製造業全般がこうした落ちぶれに閉じこもることはない。日本の自動車メーカーは今年度、史上最多の資金を研究開発に注ぎ込んだ。
GDP順位、ノーベル賞受賞者の人数などを見ると、日本はやはり実力のある国であり、革新の条件もそろっている。筆者は日本の研究開発企業数社を訪問したことがあり、きめ細やかな研究が行われているが、研究成果をまとめてみると、世界で影響力をもつ新たなコンセプトの製品がないことに気がついた。NHKの10月27日の報道によると、ノーベル賞の有力候補の一人・免疫学者の本庶佑氏は免疫細胞のブレーキを放す癌治療の新薬の実用化を日本企業に持ちかけたが、「時間・精力・財力をかけて新しい道を模索するのはリスクが高すぎる」と乗り気になる企業はなかったという。本庶氏はしかたなく、米国企業に持ちかけた。
筆者の見解では、数十年にわたった冷戦期に日本は貴重な発展のチャンスに恵まれたが、今後こうしたチャンスはもうない。米国の最新の経済・科学・産業・技術情報に対する理解不足は、政治・軍事面の強化されている日米同盟関係とは裏腹である。かつて米国の技術を導入していた日本は、今では米国製品を買うだけになっている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年11月6日