中国は2014年2月に立法形式で、12月13日を「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」として制定した。侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館は同年12月に、初めて家族単位の追悼式を開いた。これは失われつつある生存者らの記憶を呼び覚まし、個人の証言を家族単位で代々継承することを促すためだ。南京市は今年の国家追悼日に向け、12月1日から1ヶ月間に渡る南京大虐殺犠牲者家族追悼式を開く。遺族らは犠牲者の名前が記されている壁の前で、焼香・献花・拝礼、もしくは祭文や家族の手紙を読み上げるといった形式により、犠牲者を偲ぶことができる。
楊翠英さんは震える手で壁の家族の名前に触れた。当時の絶望と叫び声が、未だに耳に残っているかのようだ。当時13歳だった楊さんは1937年に南京が陥落すると、両親、弟、おじと共に大方巷難民キャンプに隠れた。父とおじは12月14日、難民キャンプ内で捕虜として連れ去られた。これは手と肩にたこができていたからだ。「彼らは畑を耕す農民で、天秤棒を担ぎ鎌を持ってできたたこが罪証になった。最も哀れなのは生まれて間もない弟の楊小宝で、泣き叫んだため日本軍にむざむざ踏み殺された」
南京大虐殺の生存者はすでに100人余りとなっており、平均年齢も80歳を超えている。
一部の遺族、生存者の次の世代は関連する歴史を熟知しており、歴史を継承する重要な集団となっている。2014年に「南京大虐殺犠牲者遺族登録作業」が始まると、約270世帯の約3000人の遺族が登録を行った。
記念館の朱成山名誉館長は、「家族の追悼式を開くのは、30万が冷たい統計データではなく、一つ一つの家庭、一人一人の生きた命でできたものであることを伝えるためでもある」と話した。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2015年12月2日