愛国華僑の韓慶愈氏、日本の中国人留学生の近代史を語る

愛国華僑の韓慶愈氏、日本の中国人留学生の近代史を語る。

タグ: 韓慶愈 日本 中国人留学生

発信時間: 2016-04-12 10:56:16 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

韓慶愈氏、「後楽寮」の中国人留学生向けに講演

 

公益財団法人日中友好会館は、「近代の中国人による日本留学史の生き字引」と呼ばれる韓慶愈氏を「後楽講堂」に招き、中国人留学生向けに「後楽寮」の歴史と知られざるエピソードを語ってもらった。

90歳と高齢の韓氏は、有名な在日愛国華僑の代表者だ。韓氏は1943年に日本に留学し、戦後に東京工業大学で学び、中国人留学生の愛国学習運動に積極的に参与した。その後、中国留日同学総会の主席に就任し、卒業した留学生と在日同胞の帰国支援に加わった。新中国誕生後も韓氏は日本に残り、華僑関連事業に従事した。

韓氏はその間、文化・芸術、工業技術、経済・貿易、スポーツ、民間友好など各業界の訪日代表団を積極的にもてなした。また作家の巴金、京劇俳優の梅蘭芳などの通訳を務めた。中国語雑誌『日本工業技術』を創刊し、最も早く中国メディアで日本各企業の広告、日本の新商品と新技術を紹介した。誰もがよく知る『鉄腕アトム』などのアニメ作品も、韓氏の紹介によって中国に導入された。

韓氏によると、「後楽寮」の前身は1938年5月に設立された「満州国留日学生会館」で、日本の関東軍の支配下に置かれていた。抗日戦争終戦後の1946年1月、盛岡に疎開していた十数人の留学生は東京に戻り、「満州国留日学生会館」を「中華学友会館」に改称した。宿舎は後楽園に近いことから、「後楽寮」と名付けられた。

新中国の誕生後、中国孤立を促す米日の敵視政策による影響を受け、後楽寮も激動の歳月を送った。しかし中国人留学生、在日華僑、中日友好団体、友好関係者の努力により、双方はついに暗い歴史を抜け出した。両国政府は財産権を巡る紛争を棚上げすることで合意し、中国人留学生を支援する施設を共同建設した。それが1985年に竣工された現在の「後楽寮」で、すでに4600人以上の中国人留学生を受け入れており、中日両国の民間交流の重要な場になっている。

韓氏は、後楽寮の移り変わりは近代中日関係の縮図であり、中日関係の健全な発展を促進してきた数世代の人々の着実な努力を反映していると述べた。韓氏は、留学生が今日の成果を惜しみ、中日関係の発展に貢献する力になることを願った。

講演終了後、韓慶愈氏が中国人留学生と記念撮影

 韓慶愈氏と交流する日中友好会館留学生事業部の夏瑛部長

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2016年4月12日

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