南沙諸島に抗日スローガン、日本側の歴史資料が発見

南沙諸島に抗日スローガン、日本側の歴史資料が発見。

タグ: 南沙諸島 三好武二  世界の処女地を行く 

発信時間: 2016-07-14 16:09:33 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

研究者が12日に発表した情報によると、このほど発見された日本の歴史資料には、日本の「探検隊」が1933年8月に南沙諸島を通過した際に、中国の漁師が南沙を開発・経営していたことを目撃した多くの詳細な歴史が記述されていた。さらには抗日スローガンも見られた。専門家は、新たに発見された歴史資料はフィリピンの「南沙諸島に所有者はいない」という説に再反論する論拠をもたらし、中国人が南沙諸島で長期的に生活・生産していた史実を裏付けたと判断している。

南京市の歴史学者、江蘇近現代史学会会員の胡卓然氏はこのほど、1933年8月の日本側の歴史資料を発見した。これには島で中国の漁師が長期的に生活・生産しており、決して無人島ではないことが詳細に記載されている。これは中国政府の立場を十分に裏付けた。

胡氏によると、日本の信正社が1937年6月に出版した『世界の処女地を行く』には、同書の筆者で戦前の有名な「探検家」である三好武二が探検隊を率い、南沙諸島を旅した時の見聞が詳細に記録されている。三好は1933年8月18日に探検隊を率い、当時日本に占領されていた台湾の高雄を出発し、「第三愛媛丸」に乗り8月25日に南沙諸島に勝手に立ち入り、偵察を行った。三好は8月25日、まず南沙諸島の北双子島(北子島)に到着し、中国の漁師3人が漁業製品を加工しているのを目にし、また漁師が暮らしている家屋を目にした。漁師は主人としての姿勢で、島の樹木を含むさまざまな状況について、日本の探検隊に紹介した。その後数日間に渡り、日本の探検隊は各島嶼で何度も中国の漁師に出会い、彼らが海南島から大挙移住してきたことを知った。彼らは数人一組に分かれ、各小島で暮らしていた。探検隊は中国の漁師の家屋と暮らしを近距離から観察し、漁師が島で耕作を行っていたこと、それから一部の家庭で子供が生まれたことなどを詳細に記録した。

胡氏は「日本の歴史資料は、中国人が南沙諸島で家屋を建て、漁業を行い、漁業製品を加工し、耕作を行っていたことを記載している。歴史に関する大量の詳細な内容により、南沙諸島に勝手に足を踏み入れた日本人も、中国の漁師が南沙諸島の各島で生活・生産を行っており、かつ島を休憩や停泊のため短期的に利用していたのではなく、島に長期的に居住し開発していたことを認めざるを得なかった」と指摘した。

さらに三好は南沙諸島で目にした、中国人の抗日スローガンを記録していた。日本の探検隊は1933年8月26日、南沙諸島の「三角島」(中業島)に上陸した。島の内部に足を踏み入れると、彼らは木に中国人が残した抗日スローガンを目にした。三好は不審と驚きを表した。

胡氏は「島に抗日・愛国スローガンがあったという記録は、初めて発見された歴史の詳細な内容だ。自国民が自国の領土でしか愛国スローガンを刻まないことは明らかだ。日本は1931年に九・一八事変(満州事変)を発動した。島の抗日スローガンは、南沙を経営・開発した中国人の素朴な民族的義憤を反映しているが、南沙諸島が紛れもなく中国が管轄している領土だったことを側面から示している」と話した。

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2016年7月14日

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