日本が「普通の国」になれるかは歴史認識問題にかかっている

日本が「普通の国」になれるかは歴史認識問題にかかっている。

タグ: 日本 普通の国 歴史認識

発信時間: 2016-08-15 14:54:11 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

日本にとって8月は毎年、非常に「忙しい」月となる。この「忙しい」は、普通の意味での「忙しい」ではない。日本の右翼・保守勢力が勢い付き、大忙しとなるのである。これらの人々は、第2次大戦のA級戦犯がまつられている靖国神社にいそいそと赴き、最大限の礼拝を尽くす。首相を含む内閣の各高官も、靖国神社にどうやって参拝するのがふさわしいか、直接行くべきか、間接的に礼を示すべきかに頭を悩ませる。はっきり言って、日本の右翼勢力にとっては、第2次大戦の侵略の歴史は、好きなように扱い、勝手な意見を言ってもいい対象にすぎないのである。(文:厖中鵬・中国社会科学院日本研究所副研究員)

日本の安倍晋三首相が掲げる政治的な夢のうちで、とりわけ強烈なのが「憲法改正」の夢である。憲法を変えるのに成功して初めて、安倍首相の「偉大なる大業」は遂げられるというわけである。だが安倍首相の目論む「憲法改正」は、日本国家の行方にかかわる根本的な問題となる。第2次大戦後の長年にわたる「平和国家」の道を歩みに続けるか、「軍事力の自由な運用」や「戦争の発動」が可能な「軍事大国」の道を再び歩むのかという問題である。この2本の道はまったく異なる方向を向いており、その結果も当然違ったものとなる。

第2次大戦後、日本の保守層はずっと、日本に貼られた「敗戦国」というレッテルに不満を持ち、日本にまとわりつく「敗戦国」の影をいつか完全に脱却し、「普通の国」として国際舞台に躍り出ることを夢見て来た。日本の右翼によれば、「普通の国」とは、欧米などの国と同様の政治的・軍事的影響力を発揮する国であり、国連安保理の常任理事国となる資格も当然持つ。日本は、侵略戦争を発動した国ではなく、第2次大戦の被害国に謝罪する義務もなく、侵略戦争と敗戦国の罪と責任をいつまでも背負っている必要はないというわけである。

だがこのような「普通の国」の認識は、是非を転倒させ、白黒を混同させるものである。このような「普通の国」の認識は本質的に、善悪を分けず、美醜をごちゃまぜにするもので、大きな錯誤という結果につながるものであることは間違いない。

日本は、多くの血の流れた残酷な第2次大戦の侵略戦争の策源地である。戦争の硝煙からはすでに71年が経過した。それにもかかわらず日本の右翼勢力は今に至るまで、侵略戦争の歴史を否定・美化している。このような日本の厳しい現実を前に、国際社会は、日本の危険な「転向」と誤った歴史認識を警戒し、厳しくチェックする必要がある。

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