〇 日本のまんじゅう後継者がご先祖様探しに黄賢村を訪問
黄賢森林公園内に大きな石碑がある。表面には、「林逋故里(故郷)」の4文字が刻まれている。この石碑は、2008年に日本の林氏饅頭第34代当主の川島英子氏が、自身のルーツについて調べるためにこの地を訪れた際に建てたものだという。すでに退職した黄賢村の林孝良・元書記は、川島氏が黄賢村を訪れた時のことを思い出しながら、感慨深げに次の通り話した。
「1980年代、川島氏は日本の飲食文化に対する先人の貢献を感謝し、先祖の林逋が眠る杭州市孤山まで出向いて、先祖の霊を弔った。1993年、川島氏は再び杭州を訪れた。私たちも杭州に向かい、『浄因亭』の落成式に出席した。当時、川島氏は家系図を携帯していたので、自分が持っている家系図と照らし合わせてみた。すると、両方の系図がぴったり一致することが分かった。林浄因は間違いなく、林逋の末裔だった」。
「その後、川島氏からの手紙を人づてに受け取った。その手紙の内容は、林浄因を偲んで日本で毎年開かれている『饅頭まつり』に招待するというものだった。さまざまな理由から、私は行くことはできなかった。だが、私は、黄賢村の資料と林家の家系図を人に頼んで川島氏に届けた」。
「2008年10月の中頃、川島氏が家族とともに、大量の日本のまんじゅうを持ってやって来た。村側も、油包(パオズ)や米製饅頭などのお菓子で彼らをもてなした。川島氏は日本に戻った後、私に手紙を届けてくれた」。
川島氏が林孝良・元書記に宛てた手紙には、次のように書かれていたという。
「私は幸運にも黄賢村を訪れ、ご先祖様である林逋の御参りをすることもでき、とても感動し、かつ感謝している。自分とご先祖様との距離がさらに近づいたように思う。帰国後も黄賢の姿と『林逋故里』の石碑のことがたびたび思い出された。皆が同じご先祖様で繋がっている。これも不思議なご縁としか言いようがない。今後も、頻繁に行き来して、連絡を取り合いたい。日本を訪れ、さらに交流を深められることを心待ちにしている」。