660年前に饅頭を日本に伝えた寧波奉化出身の林浄因

660年前に饅頭を日本に伝えた寧波奉化出身の林浄因。 「饅頭」(中国風蒸しパン)は、浙江省寧波市の街頭でよく見かける朝食だが、奈良県奈良市の漢國神社の境内にある林神社が、寧波出身の「饅頭の祖」林浄因が饅頭を日本に伝えた記念に創立されたことを知る人はほとんどいないだろう…

タグ: 饅頭 寧波 元祖

発信時間: 2017-06-13 14:20:51 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

〇 日本のまんじゅう後継者がご先祖様探しに黄賢村を訪問

黄賢森林公園内に大きな石碑がある。表面には、「林逋故里(故郷)」の4文字が刻まれている。この石碑は、2008年に日本の林氏饅頭第34代当主の川島英子氏が、自身のルーツについて調べるためにこの地を訪れた際に建てたものだという。すでに退職した黄賢村の林孝良・元書記は、川島氏が黄賢村を訪れた時のことを思い出しながら、感慨深げに次の通り話した。

「1980年代、川島氏は日本の飲食文化に対する先人の貢献を感謝し、先祖の林逋が眠る杭州市孤山まで出向いて、先祖の霊を弔った。1993年、川島氏は再び杭州を訪れた。私たちも杭州に向かい、『浄因亭』の落成式に出席した。当時、川島氏は家系図を携帯していたので、自分が持っている家系図と照らし合わせてみた。すると、両方の系図がぴったり一致することが分かった。林浄因は間違いなく、林逋の末裔だった」。

「その後、川島氏からの手紙を人づてに受け取った。その手紙の内容は、林浄因を偲んで日本で毎年開かれている『饅頭まつり』に招待するというものだった。さまざまな理由から、私は行くことはできなかった。だが、私は、黄賢村の資料と林家の家系図を人に頼んで川島氏に届けた」。

「2008年10月の中頃、川島氏が家族とともに、大量の日本のまんじゅうを持ってやって来た。村側も、油包(パオズ)や米製饅頭などのお菓子で彼らをもてなした。川島氏は日本に戻った後、私に手紙を届けてくれた」。

川島氏が林孝良・元書記に宛てた手紙には、次のように書かれていたという。

「私は幸運にも黄賢村を訪れ、ご先祖様である林逋の御参りをすることもでき、とても感動し、かつ感謝している。自分とご先祖様との距離がさらに近づいたように思う。帰国後も黄賢の姿と『林逋故里』の石碑のことがたびたび思い出された。皆が同じご先祖様で繋がっている。これも不思議なご縁としか言いようがない。今後も、頻繁に行き来して、連絡を取り合いたい。日本を訪れ、さらに交流を深められることを心待ちにしている」。

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