8月2日に伝えられたところによると、麻雀が2022年北京冬季オリンピックの競技種目になる可能性があることがわかった。それを否定する報道もあるが、麻雀愛好家は喜んでいる。麻雀をする人は多いが、中国人が勝てるかどうかはわからない。
麻雀がオリンピック競技になるというのには根拠もある。2014年の第5回欧州麻雀選手権で、中国代表の最高順位は個人で30位、団体は37位だった。51チームが参加し、中国チームは後ろから数えた方が早い。しかし別の見方をすれば、外国人がこれほど興味を持っているのは、麻雀が海外まで伝わっているということである。
では、麻雀が「世界進出」したのはいつか。
1920~30年代の胡適氏の『麻雀』に、「数年前、麻雀牌が海外に大量に渡り、大口の輸出商品になった」とあり、このころに麻雀がすでに海外進出を果たしていたことがわかる。
近代の翻訳家の杜亜泉氏の『博史』にも同様、「民国10年前後、麻雀牌が欧米で流行し、骨牌の輸出は巨額取引の商品になった」、「我国の人が外国に行き、麻雀指導者として雇われている。日本は西洋に学び、麻雀を研究し、栄えている」という記述がある。
胡適氏は『麻雀』に詳しく記載している。「欧州と米州の社会で多くの人が麻雀を学び、日本に伝わった。ある時期、麻雀は西洋社会で最もおしゃれな遊びだった。クラブで頻繁に麻雀が行われ、書店にも多くの麻雀を研究する本が並び、お金がない中国人留学生は麻雀で稼ぐこともできた。欧米人は麻雀ブームを起こした」とある。
胡適氏は麻雀が欧米日などに伝わった時期について記載していないが、ある研究では欧米より早く日本に伝わったとされている。