民主の崩壊:日本政治の右翼化が浮き彫りにするもの

民主の崩壊:日本政治の右翼化が浮き彫りにするもの。自民党などの右翼勢力と互角に戦うことのできる左翼勢力が日本で見つからない今、議会民主制の力の均衡という原理の学術的な視点から見れば、日本政府の基本的な政策の方向性は、絶対的な優位を占める政治集団による自身の利益の最大化の追求の産物になるしかない…

タグ:右翼化 自由主義 憲法 革新派

発信時間:2017-08-22 10:51:49 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 だが日本の右翼勢力は、近代日本民主政治の代表となったこのような政党を許容することはなかった。原敬(1921年暗殺)や濱口雄幸(1930年負傷)、犬養毅(1932年暗殺)は自らの血によって、戦前の帝国日本の政党民主政治が14年の惨憺たる歩みの後に激しくもその短い生涯を終えたことを示した。

 第2次大戦は日本にとって明治維新以来の歴史的な転換点と見られてきた。マッカーサーの指導の下、日本の戦後の民主化改革は、日本の政界の姿をある程度変えた。左翼革新派の代表としての日本社会党が結成され、共産党も再建された。保守派の側では自由党や協同党が次々と登場した。14年を隔てて、日本の政党政治が一夜にしてよみがえったかのようだった。だが戦後の米ソ対立によって始まった冷戦によって、日本の民主化改革は大きくその勢いをそがれることとなった。

 日本の右翼の罪が徹底的に問われることがなかったのは、冷戦期において米国が自身の勢力の拡張により、ソ連に対抗し、中国を抑制し、世界の霸権を打ち立てることを必要としたためである。在日米軍最高司令部は日本の右翼勢力を公に支持しただけでなく、日本の左翼を激しく弾圧した。米国にとって、左翼の「革新派」分子は、モスクワの潜在的または公の支持者と見られたのである。


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