このように戦前は発育不良、戦後は発育失調で、今では発育畸形に陥った日本の左翼は、日本政治にとっての脇役にすぎなくなった。1990年代には、バブル経済の崩壊によって、日本国内の左翼政党には復活の兆しが見られ、自民党一強の「55年体制」もすでに終わったと多くの人が考えた。だがこれらすべては経済的な動揺が政治レベルに表れた微弱な波動にすぎなかった。実際には、政権は依然として、自民党を筆頭とする右翼勢力の手に握られている。日本の右翼の基盤は堅固で、日本経済の動揺の影響を受けることはなかった。今日に至っても、安倍首相による改憲という政治的茶番、防衛白書のでたらめな結論、一部政治家の歴史問題に対する恥知らずなたわごとが続出している。これは一体何を意味しているのか。
右翼の一強は、日本においては歴史的事実であり、今日においては政治的な現実である。自民党などの右翼勢力と互角に戦うことのできる左翼勢力が日本で見つからない今、議会民主制の力の均衡という原理の学術的な視点から見れば、日本政府の基本的な政策の方向性は、絶対的な優位を占める政治集団による自身の利益の最大化の追求の産物になるしかない。西側の民主制の論理に基づいた日本の議会政治は、右翼政権を依然として「合法的」に生み続けている。その政治が求めるものも、日本の右翼の利益の要求をめぐる内外政策の結果にならざるを得ない。
これに対し、日本の左翼勢力が議会内の政治的均衡という機能を果たせず、カギとなる政策の分野でまったく声を失い、社会的な正義の力を動員する力も失っていることはいずれも、日本の政党民主制が内部で崩壊しているという残酷な現実を裏付けている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2017年8月22日