「この農場の誰よりも長時間仕事している」川崎さん
川崎さんは上からあれこれと指示を出すだけの「専門家」ではなく、畑に出て実際に畑仕事をする「農民」だ。「この農場で、若い人を含めて誰よりも長時間働いており、私も川崎さんの真似はできない」と李さん。
河南省の冬は寒く、川崎さんは、服を何枚も厚着して、さらにハロゲンヒーターを横に置いているという。昨年の冬、ダウンコートに穴が開いたが、川崎さんは上からテープを張るだけでいいといって聞かず、李さんが新しいダウンコートを買ってあげると言っても聞かないので、結局、街に行って破れた箇所だけ修繕したのだという。
川崎さんの70歳の誕生日の日、李さんはケーキと紙の王冠を準備。ところが王冠は何度もずれ落ちそうになり、川崎さんは手で直しながら、「前の髪が少なすぎるからだね」と冗談交じりに話したという。そして、ロウソクに火を着け、日本語の歌詞が書かれた紙を持って、みんなで日本語のバースデーソングを歌った。川崎さんはうなずきながら、中国語で「ありがとう」と言ったという。
「仕事に困っているのではなく、循環型農業を広めるために来ている」
川崎さんが微博で「有名人」になって以降、小劉固の農場に取材に来るメディアが増えた。その報道を川崎さんは全て見ているそうで、時に笑みを浮かべながら、「この報道はいまいちだな」と評価することもあるという。
しかし最近は川崎さんが不快に感じることもあるといい、「中国に循環型農業を広めるために来ているのであって、『仕事を探しに河南省に来た』と書いているメディアもある。私は仕事に困っているわけではない」と話す。
川崎さんが小劉固の農場に来て、今年で4年目になる。
川崎さんによると、始めの3年は、とても大変で、今年の4月に売上金が振り込まれて初めて、好転したと信じることができたという。消費を牽引するのは、川崎さんの微博アカウントのフォロワーたちだ。16年の春節前、川崎さんのフォロワーが激増したのに合わせて、売り上げも一気に増えたのだという。
16年5月、川崎さんと李さんは、成都浦江県の招きで視察を行った。当時、同業者の神田教授に、「85歳になって働けなくなった時に、農場は利益をたくさん出していたらどうするのか?」と質問された川崎さんは、横を向いて李さんに、「どうしたらいいの?」と振ると、李さんは、「川崎農業基金を設立して、農業の技術を学ぶ若者をサポートするというのはどうですか?」と提案すると、川崎さんは、「いいね」と答えたという。(編集KN)
「人民網日本語版」2017年9月11日