福島原発事故の際、放射線量測定の拠点だった福島県の旧原子力センター(大熊町)の内部が、事故から7年8カ月たって初めて公開された。白板には「モニタリング中止、撤収せよ」と現場職員に無線で出した指示や原発の危機的状況を示した書き込みなど、苦闘の跡が残っていた。日本メディアが伝えた。
同センターは第1原発の西約5キロにあり、2011年3月11日の地震発生翌日から14日夜に福島市に撤退するまで、線量測定に当たる職員を北は南相馬市、南はいわき市に派遣した。撤退後は閉鎖され、当時とほぼ変わらない状態で残っている。
白板や黒板には14日の3号機の水素爆発について、「爆発音→屋上にて白煙確認」「水素爆発 屋内退避」といった言葉が並び、当時の緊迫感を伝えている。
別の部屋には、事故後に各地で採取した雨水を入れたタンクが所狭しと置かれていた。今後のサンプルとして保存しているという。人の形を描いたメモもあり、線量測定から戻った職員の表面汚染を示す数値が、体の部位ごとに記されていた。玄関先には職員の靴が置かれ、「この黄色靴は汚染している」との貼り紙もあった。
当時センターにいた県職員、阿部幸雄さん(53)は、屋上から3号機の白煙を目撃した。「自分だけでも残って検査を続けたかったが、被ばくの可能性もあった。もっとできることがあったのではないかと今も思っている」と話した。
センターと隣接の旧原子力災害対策センター(オフサイトセンター)は、大熊町の特定復興再生拠点区域(復興拠点)にあり、県はいずれも2020年度までに解体を予定してる。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2018年11月27日