日本の考古学者の菊地大樹氏は北京市で20日、「古代中国の馬の使用は商に始まり周で成熟した。その後の歴代王朝に引き継がれる中で厳格かつ安定的な馬の生産体制が構築され、東アジア、さらにはより遠い地域に広がっていった。隋・唐の時代に古代日本に伝わった」と述べた。
中国社会科学院考古研究所は同日午後、2019年度考古学研究シリーズ学術講座を開いた。同研究所の訪問学者、東アジアの考古学及び動物考古学を専門的に研究する菊地氏は「古代中国の王朝と馬」をテーマとし、中国語でスピーチを行った。
菊地氏によると、古代中国の「六畜」(牛・馬・羊・豚・犬・鶏)のうち、馬の馴化が最も遅く、およそ紀元前14世紀の商の後半に始まった。馬の利用開始は、軍事・権力・祭祀・交易と関連し、大型家畜の力が社会及び経済制度の中核になり始めた。大規模な車馬埋葬、兵馬俑、古文書、出土した文字の資料の記載などを見ると、馬が古代中国の王朝の祭祀活動において確かな地位を築いていたことが分かる。中国各地の遺跡から出土している家畜の馬がその一例だ。
殷墟甲骨文から馬の生産体制の萌芽を認めることができるが、文書による記載が豊富になった漢までの、約1000年以上に渡る馬の飼育・生産状況が知られていない。菊地氏は中国訪問中に重点的にこの研究を行い、古文書と出土した文字の資料から当時の馬の生産体制を復元した。また遺跡から出土した馬の骨を通じ、動物考古学及び同位体の化学分析を結びつけた実践と考証により、当時の飼育管理の実際の状況を推測した。
分析と研究の結果によると、古代中国の馬の飼育体制には成熟した仕組みがあった。役職によって異なる作業を分担し、馬の季節的な繁殖法則に基づく飼育管理が行われていた。この馬の生態を熟知した飼育管理体制は西周中期まで遡ることができる。戦国時代の秦国は馬の飼育技術がすでに非常に成熟していた。隋・唐になると、馬の生産体制は東アジア、さらにはより遠い地域まで拡大した。馬の生産を含む農業技術が古代日本に伝わった。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2019年3月30日