北京青年報が18日、日本八路軍・新四軍老戦士会の小林陽吉事務局長から得た情報によると、日本国籍の解放軍女性兵士・加藤昭江さんが先ほど、日本の自宅で亡くなった。享年91歳。追悼式が17日、東京でしめやかに営まれた。小林さんによると、加藤さんは北京中日友好病院の建設に参与したことがある。また病院のため多くの医療機器と医療スタッフを紹介・提供した。
17歳で入隊
中国半分の解放を見守る
小林さんによると、加藤さんは日本八路軍・新四軍老戦士会の重鎮の一人で、日本国籍解放軍兵士の代表者だ。1945年11月、当時17歳だった彼女は遼寧省本溪で、中国人民解放軍第四野戦軍の前身の一つ、東北民主聯軍に加わった。
小林さんは「加藤さんは当時、東北民主聯軍の戦士から本を受け取った。本は主に革命の内容だった。加藤さんは当時中国語を話せず、日中辞典を引きながらゆっくり本を読み終えた」と振り返る。加藤さんは入隊後、中国の同志に協力し遼東軍区の管轄区域内のすべての関東軍陸軍病院、満鉄病院、赤十字病院を引き継いだ。遼沈戦役、平津戦役などの重大戦役に参加した。
加藤さんは生前、小林さんに「解放軍と共に東北から中国南西部の南寧まで移動し、中国半分の解放を見守った」と語った。
加藤さんの夫である加藤肇さんは日本国籍の新四軍兵士で、夫婦の長女の名前は延子。延安の解放を記念した名前だ。次女は新中国成立後に生まれ、頌子と名付けられた。新中国を「歌頌(称える)」という意味が込められている。