また日本人女性の社会及び家庭における役割も単一的だ。安倍政権は「女性活躍社会」という政策を推進しているが、実質的な成果を出していない。日本政府は確かに男女平等を肯定したが、女性は家庭から離れられず、職業的な発展に有利な環境も得難い。さらに男性が育児するべきか、育休を取るべきかということ自体が、日本社会が時代遅れであることを反映している。小泉氏を支持する日本のネットユーザーが指摘しているように、育休という概念はそもそも存在すべきではない。男性が自分の子供に寄り添うのは至極当然であり、世界の主流になっているからだ。小泉氏が育休を取得できるか否かは本質的に、日本人女性の家庭での役割、社会発展の問題に関わる。
日本は現在、少子高齢化に対応するため全力を尽くし、女性の生育、男性の育児及び家事への参加を奨励している。しかし小泉氏の育休に関する多くの論調を見ると、その焦点は育休が閣僚や国会議員としての立場に合うか、職をまっとうできるか、報酬が支給されるかといった派生的な話題に集中している。ここからは日本社会全体が未だに、出生率を高め少子高齢化などの喫緊の課題を解消する共通認識と危機感を形成していないことが分かる。政府が焦っているが、国民が焦っていないようだ。一部の専門家は、従来の「制度先行」を真面目に守ることで、社会と国民の柔軟性が束縛されていると指摘した。日本は焦眉の急を解消する時に、制度に保守的に依存すべきではないというのだ。
小泉氏は日本国民の誰もが知る政界のスターであり、一般的な「プレパパ」でもある。理想は膨らむが、現実は厳しい。日本社会が全体的なモデルチェンジを実現できなければ、小泉氏の人気と立場があっても、男性の育児を推進できるとは限らない。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2019年10月24日