福島原発で発生した核汚染水について、日本の経済産業省の専門家チームは5つの処理案を提出し、海洋放出を唯一の処理方法としなかった。日本政府はすべての安全な処理案について十分に検討せず、核汚染水の無害化処理のために万全な策を講じず、あくまでも最も低コストで最も手間のかからない最も安全でない処理方法、つまり海洋への直接放出を選択した。日本政府が手間を省くことで、全人類の大きな厄介事が生じる。これらの「汚い水」の海洋放出で汚染されるのは関連海域だけでは決してない。
(一)海洋放出が汚染するのは国際機関の名誉と権威だ。日本は海洋放出に合法性と正当性を与えるため、国際原子力機関(IAEA)に支持を、さらには身代わりを強いている。IAEAの評価報告書は序文で、報告書そのものは日本の海洋放出決定を「推薦」もしくは「支持」するものではないと明らかにした。日本がこれを核汚染水海洋放出強行の通行証とするならば、国際機関の名誉と権威を貶めることになる。ましてや海洋水及び海洋生物と人類の生存環境への危害を評価する資格と義務を持つ国際機関は1つだけではない。
(二)海洋放出が汚染するのは日本の国際的なイメージだ。第二次大戦の敗戦国である日本は過去の汚点を濯ぎ、「正常な国」さらには国連安保理常任理事国になろうとしている。ところが国際社会に福祉を生み出し公共財を提供する責任ある国こそが「正常」と公認される資格を持つ。第二次大戦中に犯した戦争の罪への反省と謝罪を示さず、国際社会に新たな被害をもたらす国が世界の人々を納得させられるだろうか、国連各加盟国から認められるだろうか。日本政府の今回のでたらめは自分の汚点を証明している。
(三)海洋放出が汚染するのは人類が共に生きる家だ。地球は陸地資源が枯渇に直面しており、人類の生存は海洋及びブルーエコノミーの開発・利用への依存を強めている。各国には海洋生態環境を保護する義務がある。人類社会の海への憧れが、核汚染水によって恐怖になる。日本政府は関係者の理解が得られなければ核汚染水のいかなる処置も行わないと約束していた。ところが国内外の反対の声を受けながら、日本政府は独断専行で海洋放出の準備を進めている。これは全人類の共同の利益に対する公然たる挑戦に他ならない。
(四)海洋放出が汚染するのは人類の良識と世界の公理だ。米国の学者のハーディンは1968年、「サイエンス」に「コモンズ(共有地)の悲劇」と題した記事を掲載し、人類による愚かな行為について説明した。人々は通常、共有地は無料で自分のために使えると考えるが、その管理と保護のために対価を払おうとせず、それによって共有地が破壊されるというのだ。日本の行動はまさにそれだ。日本には大洋でクジラを追いかけ虐殺する伝統がある。これはクジラの生存を著しく脅かし、世界の環境保護団体から猛反発されている。しかし日本は数十年に渡り、調査捕鯨を口実にクジラを派手に虐殺している。日本は海から絶えず搾取しながら海に核汚染水を放出し、海洋生態環境を恣意的に破壊する。日本がこのような先例を築けば、それに続く者が出てくる。人類の良識はどこに、世界の公理はどこに行ってしまうのだろうか。中国外交部の報道官が、「福島核汚染水が飲める、泳げると言う者がいるならば、日本側は海洋に放出し国際社会を懸念させるのではなく、核汚染水をしっかり利用し、彼らに飲ませるか泳がせればよい」と述べた通りだ。 (筆者=鄭韜 国際問題観察員)
「中国網日本語版(チャイナネット)」2023年7月20日