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japanese.china.org.cn |17. 08. 2023

旧日本軍の「毒ガス島」を訪ねて ②製造された毒ガスは次々と中国の戦場に運ばれた

タグ: 大久野島 毒ガス島歴史研究所
中国網日本語版  |  2023-08-17

 山内正之さん(78)は民間団体「毒ガス島歴史研究所」の事務局長で、大久野島で「毒ガス島」を解説して25年になる。山内さんによると、最近の日本の歴史教育は被害の歴史ばかりで加害の歴史を語らないようになり、圧倒的多数の観光客は「毒ガス島」を知らず「ウサギ島」しか知らないという。「10人中9人はウサギのために来る。島で毒ガスを製造していた、日本が第二次大戦中に毒ガスを使用していた歴史を知りたがるのは1人だけだろう」

 広島県竹原市の大久野島で8月15日、日本の反戦関係者で「毒ガス島歴史研究所」事務局長の山内正之さんが見学者に、当時の大久野島毒ガス工場の分布図を見せた。その背後の空き地は当時、毒ガス島最大の毒ガス工場の所在地だった。新華社記者・馮武勇撮影

 資料によると、日本陸軍は1927年に大久野島で毒ガス工場の建設を開始した。1929年の正式な製造開始から1945年の日本の敗戦まで6000人以上が毒ガス工場で働いた。製造された毒ガスは砲弾に装填された後、次々と中国の戦場に運ばれた。記録されているだけでも、日本軍は中国で1241回の毒ガス戦を行い、中国の軍民に20万人超の死傷者を出した。

 「中国網日本語版(チャイナネット)」2023年8月17日