奇跡を作り出した神経外科医の王忠誠さん

japanese.china.org.cn  |  2009-08-21

奇跡を作り出した神経外科医の王忠誠さん。

タグ:奇跡 神経外科  王忠誠 60年

発信時間:2009-08-21 13:37:05 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

1944年から1950年にかけての6年間の大学での勉強の中で、生活費を稼ぐため、彼はアルバイトをしたり、石炭の運送をしたり、家庭教師になったりして、多くの普通の人にとって想像しがたいきつい仕事をしたことがある。彼は優れた成績で新中国の誕生を迎えた。卒業後、彼は天津総病院の外科入院部の外科医師となった。

 

新中国成立以後、抗米援朝戦争が勃発した。王忠誠さんは中朝国境地域に赴き、土れんがを積み上げて作った仮設家屋の中で負傷者に応急手当てをした。その間、王忠誠さんとその戦友達は夜を日に継いで傷病者の応急手当にあたった。その時から、王忠誠さんはどんなことがあっても神経外科医にならなければならないという志を立てた。

 

まもなく、中国で最初の神経外科病院が北京に創設され、王忠誠さんもそこで仕事をすることになった。

 

「国内初めての」、「世界の前例のないの創造的なオペ」といわれる手術を、王忠誠さんは一回また一回と行い、そのしっかりした理論的基盤、熟練したテクニックにたよって大胆に新しい手法を打ち出し、人々の健康を脅かしている難病、重症について模索を続けてきた。

 

王忠誠さんの医学の分野における成果は、党と人民からこのうえなく重視された。2000年3月2日、中国医療衛生分野のグランプリ――「ベチューン表彰メダル」を獲得した。

 

王忠誠さんの成果は国際神経外科の分野でも高く評価され、認知された。欧米ではそのテクニックを芸術の傑作であると称し、日本ではそのテクニックはアジアで最高と言えるものと見ている。彼は相前後して米国、日本、カナダ、スイスなどの33カ国の招きを受け、これらの国々に赴いて学術交流と訪問を行い、その学術講演はずっと各国の専門家の間で注目されてきた。

 

今では、もう自ら執刀はしなくなった王忠誠さんは、やはり毎日出勤し、後輩たちを教え、いろいろ相談に預かり、さまざまな難病の診断に協力している。彼は、「私の成長の軌跡は1つの道理を実証している――科学技術関係者は個人の理想を国の発展、民族の復興という偉大な事業の中に溶け込ませてこそはじめて人民に奉仕し、社会のために責任を果たす中で自分の学術面における理想と人生の価値を実現することができるのである。自分の知識と能力で国と人民のために力を尽くすことは、人生における最もすばらしい楽しみである」と語っている。

「チャイナネット」 2009年8月21日

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