街頭でボランティアのための記念写真を撮っている侯波さん(2008年9月15日に撮影)
女性カメラマン侯波さんの生まれたのは中国にとっては軍閥が混戦を続ける年代であった。彼女は13歳の時に抗日戦争に参加し、14歳の時に共産党に入党して革命根拠地の延安に赴き、25歳の頃北京の天安門城楼の上で新中国成立の大式典を自ら経験し、新中国成立の初期から中南海(中国共産党と中国政府の所在地)で毛沢東らの中央の指導者らのために12年も専従のカメラマンとなり、71歳のころから中国女性撮影家協会創立会の主席を務めた……。
現在、侯波さんはすでに85歳の高齢であるが、まだたいへん元気である。彼女と93歳の連れ合い、カメラマンの徐肖氷さんは息子、息子の嫁と一緒に暮らし、一家団らんの楽しみを存分味わっている。
侯波さんは新華社記者の特別取材を受けた際、「私のこの人生は幸せそのものであった。新中国成立の大式典を自ら経験し、祖国の富強をも目にしてきた」と述べ、さらに次のように語った。
「共産党は中国人を立ち上がらせた」
「私は1924年に山西省の夏県に生まれ、当時軍閥の混戦が続いていた年代で、上海などの多くの大都市ではところどころに外国の租界があり、国は痛めつけられていた。1937年、日本が中国を侵略し、山西省の半分以上は日本に占領され、人々は生きていくことさえ難しく、共産党の地下組織の導きのもとで、私は犠牲救国同盟会に入会した。その年、私は13歳であった。」
1938年、私は西安八路軍弁事処で学習していた時、そこで中国共産党に入党した。1949年の初頭、私と主人は北平(今の北京)にやって来た。中国共産党中央が北京に進駐するとともに、中南海で執務を始めた後、私はもっぱら毛沢東らの中央の指導者らの専従のカメラマンとなった。