難易度
「危険で厳しく、初戦で自分を使い、必ず勝利する!」
心の準備はできていたが、現場に入ると、想像以上に難しいことがわかった。200人以上の地ならしチームを連れて現場に入った中建三局の余南山氏は非常に驚いたという。7万平方メートル以上の敷地、高低差最大10メートル、さらに広範囲にわたるヨシの除去、池の埋め戻し、既存の建築物の撤去、土木工事、約40万立方メートルの砂石替えなど、これらを2日で終えなければいけなかった。
鄭学選氏は、「作業員らは非常に短い時間で人力招集、資源調達、設計図の具体化などの作業を終え、どのプロセスにも問題があってはならず、毎日極限状態で作業した」と述べた。
感染症流行と春節連休の影響で、作業員、材料、設備が不足していたことは工事の最大の難点だった。
火神山医院の工事現場で人力資源の協調を担当した韓建英氏は、毎日200件以上の電話をかけ、「あらゆる資源を調達し武漢に来た作業員をサポートする必要があり、地方に車を派遣して迎えに行った」という。
「危険で厳しく、初戦で自分を使い、自分なら必ず勝利できる!全集団の力を合わせ、火神山医院と雷神山医院を迅速に建設する!」周乃翔氏率いる作業チームは北京から武漢に到着し、人員、物資、資金などの主な問題を解決し、11社の傘下部門から4000人以上の作業員を調達した。
中建集団の全産業チェーンに頼り、2500台以上の大型設備と輸送車両、4900個以上のコンテナ、20万平方メートルの防護フィルム、および大量のケーブル・電線、配電箱、衛生用品などの物資がわずか数日で武漢に到着し、病院の建設を全面的に加速させた。
2軒の病院は緊急プロジェクトであり、計画が変化に追いつかないことになりかねない。雷神山医院は3回拡張され、面積は5万平方メートルから7万9900平方メートルに拡大し、火神山医院は5回のプラン変更があった。陳衛国氏は、「最も記憶に残っているのは火神山医院の交付前日の夜8時過ぎ、防疫ニーズに基づき機能エリアを再調整したこと」だと述べた。
伝染病医院の建設は綿密性が高く求められ、関連の汚水処理場やごみ焼却場は有毒ガス、汚染水、医療俳句物などを完全に封鎖処理できなければいけない。「汚水は絶対に漏れてはいけない」と話すプロジェクト技術責任者の閔紅平氏は例を挙げ、ウイルスを含む可能性がある雨水が地下に浸透しないようにするため、隔離エリアの地面に硬化処理を施し、コンクリート基盤、浸透防止フィルム、鉄筋コンクリート地層の3層の防護を設置し、雨水を全て院内の貯水池に流し、消毒後に都市汚水システムに流す必要がある。
4万人以上の作業員が密集する現場では、感染症予防も厳しい試練の1つとなる。
火神山医院プロジェクトは「5+3+8」防疫モデルを構築した。「5」は作業エリアと作業員生活エリアに5カ所の固定式赤外線体温計を設置し、「3」は工事現場に3カ所の流動検温ポイントを設置し、「8」は管理者が体温計を携帯して巡回検温し、全作業員が体温測定を毎日4回以上行った。
陳衛国氏は、「我々はまず体系を健全化し、検温、消毒、安全衛生の3つの全カバーを実現し、一切の手落ちもないようにした」と紹介。
危険で厳しい現場では、党員が統率をとった。現場で、14組の臨時党支部、14組の党員突撃隊、2688人の党員が統率する3万人以上の作業員が日夜奮闘した。雷神山医院プロジェクト臨時党支部党員前衛部の責任者の劉軍安しは、この煙のない戦いで、高所ではためく党旗は作業員を奮い立たせたと述べた。
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