チベット族の牧畜民:新旧社会の大きな違い

japanese.china.org.cn  |  2009-03-18

チベット族の牧畜民:新旧社会の大きな違い。

タグ:チベット族の牧畜民 新旧社会の大きな違い 中国社会

発信時間:2009-03-18 10:47:26 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

――ルオサンツレンさん。男性、チベット族。1936年、ナチュ(那曲)の牧畜奴隷の家庭に生まれる。現在、チベット自治区ナチュ県で牧畜民として暮らす。

おれの実家はチベットのチャンドゥディンチン県だ。おやじは部落の頭目の搾取と抑圧に我慢できず、チベット旧政府が割り当てたいろんな過酷な寄付や雑税を納めことができなかったから、故郷を追われ、ナチュに流れて、宿駅や牧畜主のために靴をつくったり、着るものを縫ったりして、なんとかその日を送っていた。その後、貧しい牧畜民の女性と結婚して、男女7人の子を産んだ。この苦しい家庭を守ろうと、おやじは昔と同じように靴や着るものをつくり、おふくろは牛の糞を拾ったり、宿駅や牧畜主のためにハダカムギの団子をつくったりして、ごくわずかな収入を得ていた。いろいろ倹約して貯めた金で、ナチュで小さな家を買った。9人の大所帯。満足に食べられることはなかった。冬が来るとなおのこと、飢えと寒さで、その苦労は言い難い。飢えと病魔にさいなまれて、次々に兄弟、姉妹5人が命を奪われた。残ったのは姉1人だ。

8歳の時、生活の必要から、おやじは家を8頭のヤギとテントと交換して、牧畜村に移って生活するようになった。その年、雪害に遭い、ヤギ8頭はぜんぶ死んでしまった。生計に迫られ、おやじはまた寺院の高利の借金に頼らざるを得なくなり、チベット政府はわが家をゴドリン(功徳林)寺の属民にし、毎年、政府に7.5キロの酥油(スーヨウ・牛・羊の乳でつくったバター)を納めることになった。納められなければ、債務の肩代わりにさまざまな苦役が課せられた。おやじは病と疲れから体調を崩し、ある雪の舞う夜、他界した。45歳だった。おれはその時、13歳だ。おやじが逝ってからは、頭目や牧畜主の使用人になり、放牧し、生涯払えない債務を引き継ぎ、牛馬にも劣る生活を送ってきた。

1959年、一家はようやく解放されて、国の主人となった。民主改革で、寺や廟、頭目や牧畜主によって強いられてきたいろんな高利貸しや雑税はぜんぶなくなり、12頭の乳牛も戻ってきた。生活がだんだん良くなってきたのは、この時からだ。金もできたし、食べることも、着ることも心配なくなった。30頭の牛に40頭の綿羊、10頭のヤギを買い、幸せで何の心配もない生活を送れるようになった。1年後、党と政府は姉を内地の西藏公学(現在のチベット民族学院)で勉強させてくれた。3年後に戻り、ナチュ地区の婦女連合会の幹部になり、その後に連合会の主任になった。おれもおふくろも心落ち着いた生活を送ることができたが、おふくろは87歳でこの世を去った。

この数年は、改革開放政策のおかげで、わが家の生活は前よりずっと良くなった。一家5人、牛は78頭、綿羊は160頭、ヤギは78頭、純収入は毎年1万元以上になる。5つの部屋がある家を新築して、風力発電機もつけた。高級な洋服、金銀の宝飾、高級なチベット式家具、高級なステレオ、テレビと、必要なものは何でもあるし、預貯金もある。

いま、生活はすごく安定している。1年を通じてヨーグルトや肉を口にできるし、テレビを通して外の大きな世界が分かるし、天国にいるような生活を送っている。本当に新しい社会と旧い社会の大きな違いだ。いまのようなすばらし生活は、旧社会では、夢にすら思えなかった。けど、おれの家のような生活水準は、この村では普通の方だ。もっと裕福なものもいる。

「チャイナネット」2009年3月18日

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