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「言葉が話せる家畜」から土地をもつ自由な人間に |
発信時間: 2009-03-23 | チャイナネット |
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30のチベット文字の字母から40万字の博士論文へ ゲレェさんは、自分の社会的地位を変えるにはラマになるしかないと以前は思っていた。母親のたっての願いで、5歳のゲレェさんは領主の読経堂で大鼓を打ち鳴らし祈祷することを許された。そこで彼は経典を読むラマたちについて仏教の経典を勉強することができた。「わたしの勉強は一家の働きを代価として取り換えたものなのだ」と言うゲレェさん。 「紙と筆もなく、壁に穴を開け、光が穴から射してくると勉強が始まる。ラマたちについて読経するだけで、意味は分からないままであったが、読み間違ったら殴られるのだった」と。こうして半年後にゲレェ君はチベット文字の30の字母を覚えた。 1956年、政府は地元で小学校を開設し、ゲレェ君はやっと学校でチベット語と漢語を勉強することができるようになった。「それ以後人類とは何か、地球とは何かを知り、また天安門を知ることになった」というゲレェさん。 ゲレェさんは、小学校から学費を払ったことがなく、国が食費を支給してくれたばかりか、衣服さえ与えてくれ、中学校に入ると、三年間連続で一等奨学金を獲得していた、と言う。 1964年、中学校を卒業したゲレェさんは成都にある西南民族大学の中等専門クラスに入学した。四年後、「チベット語翻訳専攻」のクラスを卒業し、故郷のガンズェチベット族自治州に戻って仕事をすることになった。1978年に中国社会科学院の民族研究所に入所し、少数民族、特にチベット族の社会と歴史を研究することになった。 1986年にゲレェさんは博士論文を書き上げ、しかも中山大学の人類学学部での答弁がスムーズに認められ、新中国で養成した最初の人類学博士となり、そして最初のチベット族出身の博士となった。彼は北京で中国初のチベット学研究センター設立の企画と建設の作業に参加した。 |
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