24日朝4時、温州康寧病院のICUで、看護士は福州出身の趙立松さんの遺体から7枚の身分証を探し当てた。
「この子の家族7人がみんな列車で」看護婦は言った。
趙立松さんの8歳の息子、趙竹くんと12歳のいとこは隣の処置室で治療を受けていた。2人は軽傷だった。この時、家族全員がこの病院にいた。
趙竹くんがいうには、両親は早くから夏休みになったら旅行に連れて行ってくれると約束していたという。3日前、彼と祖父、祖母、父母、叔母といとこは揃って杭州へ旅行に行き、23日に杭州から福州へ戻るところだった。
家族全員はD301便の1号車両に乗っていた。事故発生時、両親は座席に座っており、趙竹くんは走り回って列車の外の景色を見ていた。初めての旅行だった。「突然、大きい音がして、灯が消えた。僕は転んでたくさんの物が顔に落ちてきた感じがした。列車が転がり、僕も車両の中でごろごろ転がってすごく苦しかった。それから、大きい荷物が頭の上に落ちて来て、なにもわからなくなったんだ。目が覚めた時、列車は橋の下に落ちていた。床が上にあった。僕は一生懸命、身体の上の荷物や鉄板をどけて外へ登った。真っ暗な中を10分くらい這っていったら、やっとドアをみつけた。列車から出たら、列車全部が橋の下に落ちていて、たくさんの人が泣いていた。」「僕は泣かないで、パパとママを見つけようと思ったんだ。」周りでは負傷していない乗客たちが救助を手伝っていた。ある知らない乗客が現場を離れ、彼を救急車まで送ってくれた。救急車で思いがけず母と姉に会えた。「うれしくて、でも苦しかった。お母さんは意識がなくて、僕はがんばってお母さんを揺すったんだけど、お母さんは目を覚まさなかった。」
康寧病院で、趙竹はお父さんを見た。「お父さんは頭を大けがしていて、意識がなかったんだ。」という。これが父に会った最後だった。
現在、趙竹くんの母は依然として温州医学院附属第二病院で緊急治療中だ。
「お父さんもお母さんもみんな重傷だ。」趙竹くんはまだ一滴の涙も出てこないという。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2011年7月25日