■ 調査
菅直人氏の被災地視察が多大な混乱を招いた
独立調査委員会の報告書では、当時の首相であった菅直人氏の責任も直接追及している。
これによれば、3月11日大震災が発生してから、菅氏は夜7時03分になってやっと、「放射能緊急状態」を宣言している。しかも午後5時42分には、当時の経済産業大臣であった海江田万里氏が直接、東京電力から報告を受け、緊急に首相官邸に出向き緊急事態宣言を要求していたにもかかわらず、菅氏が6時すぎに野党の会議に参加しなければならなかったという理由で宣言が1時間以上遅れた。
報告書では、菅氏が12日、あわててヘリコプターで被災地の視察に出向き、原発の緊急作業に関与したことに対し、当時、原発の現地では菅氏がこのような切迫している状況下で視察に来ることに懸念を示していたことを明かしている。原発の所長であった吉田昌氏の当時の談話として、「我々は大勢の管理職に首相を接待させずに、私一人で対応すればよかった」という証言を載せている。