中日両国の始めての戦い 大唐帝国が日本を「唐マニア」に変えた(3)

中日両国の始めての戦い 大唐帝国が日本を「唐マニア」に変えた(3)。 中日両国の始めての戦い 大唐帝国が日本を「唐マニア」に変えた

タグ: 中日両国 戦い 大唐 日本 歴史 中日历史第一战:大唐将日本揍成超级“唐蜜” 中日対訳

発信時間: 2012-11-26 11:06:59 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

「旧唐書」は、この戦役の経過を簡潔に記している。「仁軌、白江の口において倭兵に遇い、四戦にかち、その舟400艘を焚けり。煙焔は天に漲り、海水みな赤く、賊衆大潰せり。」つまり、唐帝国は大いに戦い、敵を圧倒したのだ。このような敵軍遭遇戦での全面勝利は、唐軍の輝かしい戦史の中では特筆に値するものではない。たった一人で天竺を破った外交使節の王玄策でさえ、唐の歴史においては無名の輩に過ぎないのだ。名将を次々と輩出したこの時代を、ただ感嘆するほかない。 

日本史料を読むと、白村江の戦いがそれほど複雑なものではないことが分かる。 

先に白村江に着いた唐軍は、軽々しく強襲しようとは考えていなかった。劉仁軌は軍艦の陣列を横に広げ、戦に備えた。日本の軍艦がまず攻めてきたが、唐の軍艦の高さに苦しめられ、うまく攻められなかった。ほどなく唐軍からやってくる雨のような弓に怯み、退却した。 

一回目の攻撃で失敗を経験した日本軍は、将軍を集めて短い会議が行われた。会議の結論は楽観的、盲目的なものだった。「我等先を争はば、敵自づから退くべし。」である。そして日本軍は各部署の調整を図ることなく、「現状の軍隊で堅強な唐軍を撃つ」ことにしたのである。

 

 

 

这场战役的经过,《旧唐书》里只有简洁的一段话:“仁轨遇倭兵于白江之口,四战捷,焚其舟四百艘,烟焰涨天,海水皆赤,贼众大溃。”说起来,大唐武功强盛,对外战争攻无不克,这种击溃敌军的遭遇战,在唐军的辉煌战史上实在不算什么——就连以一人敌一国,几乎灭掉天竺的使节王玄策,在唐史上都是默默无闻之辈。那个名将璀璨的时代,只能让后人仰望感慨。

通过日本史料,我们才能大致了解到白江口之战并不算复杂的过程。

先行到达白江口的唐军,没有贸然强攻。刘仁轨命令战船摆开阵列,严阵以待。日船首先发起了进攻,但苦于唐船高大,仰攻十分被动,很快被唐军飞蝗一样的弓弩射退。

第一波攻击尝到唐军的苦头后,日军的将领聚在一起开了个短暂的军事会议,会议的结果是乐观而盲目的:“我等争先,彼应自退。”于是日军诸将未加整顿部署,便“率日本乱伍中军之卒,进打大唐坚阵之军”。 

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