中日両国の始めての戦い 大唐帝国が日本を「唐マニア」に変えた(2)

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発信時間: 2012-11-26 11:01:37 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

中日両国の始めての戦い

 

蘇定方が撤収する際、大将の劉仁願を残して百済の旧都、泗沘城の鎮守とした。唐の大軍が去ると、百済の情勢は不安定になり始めた。百済の遺臣である鬼室福信は忠誠心が強く、残された部下を集めて「祖国復興」のゲリラ戦を始めた。日本で人質となっている王子、豊を迎えて王に即位させるため、鬼室福信は日本に使節を送って救援を求めた。合わせて唐軍の捕虜百余名を献上した。 

当時の日本は斉明天皇が在位しており、彼女は60歳を過ぎた老人だった。息子の中大兄皇子が執政となっていた。中大兄皇子は当然、朝鮮半島において日本の勢力が瓦解するのを望んでおらず、また献上された捕虜を見て、唐軍も大したものではないと考えた。そこで全国総動員し、斉明天皇も自ら出征し、3万の人馬を率いて海を渡り、戦に備えた。予想だにしなかったことに、大軍が九州に到達したとき、斉明天皇が疫病によって没した。最初から順調でない行軍だったが、喪服を着た中大兄皇子は全く動揺せず、まず王子の豊を5千の護衛兵とともに国へ帰らせた。鬼室福信は王子の豊を周留城(今の扶安郡付近)に迎え、王に即位させた。 

日本からの出兵という支援の下、百済の祖国復興勢力はますます大きくなった。一方の劉仁願の軍隊は、泗沘城を取り囲まれ困窮していた。 

 

 

 

 

 

苏定方撤离时,留下了大将刘仁愿在百济旧都泗沘城镇守。唐朝大军一走,百济的局势就开始不稳了,百济的旧将鬼室福信很忠心,他召集了余部展开“复国”的游击战,为了迎回在日本为人质的王子丰回国即王位,鬼室福信遣使到日本求援,并献唐俘一百余人。

当时日本齐明天皇在位,她是位60多岁的老太太,执政的是她儿子——皇太子中大兄。中大兄当然不甘心日本的势力就此在朝鲜半岛瓦解,又看到献来的俘虏,觉得唐朝兵不过尔尔,于是开始全国总动员,由齐明天皇御驾亲征,率领三万人马准备渡海作战。不料大军才到九州,齐明天皇染上瘟疫一命呜呼。出师不利,身穿丧服的中大兄却毫不动摇,先发兵五千护送王子丰回国,鬼室福信将王子丰迎入周留城(今韩国扶安郡附近),即了王位。

在日本的出兵增援下,百济的复国势力越发壮大,反而将刘仁愿的部队围困在泗沘城。

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