日本は大唐帝国に叩かれた。実際は巻き添えの一発だった。唐朝の敵は高句麗だったのだ。
唐が建国したばかりのころ、朝鮮半島はまさに「三国志」のような時代で、高句麗、百済、そして新羅の三国が対立していた。そのうち、半島の北側にあって唐と隣接していた高句麗が最強国だった。高句麗は、唐の東北部で頻繁にいさかいを起していた。半島の南側にある百済と新羅の勢力は弱く、彼らは高句麗や唐、そして日本の顔色をうかがっていた。
中日両国の始めての戦い 大唐帝国が日本を「唐マニア」に変えた(1)
中日両国の始めての戦い 大唐帝国が日本を「唐マニア」に変えた(2)
中日両国の始めての戦い 大唐帝国が日本を「唐マニア」に変えた(3)
中日両国の始めての戦い 大唐帝国が日本を「唐マニア」に変えた(4)
中日両国の始めての戦い 大唐帝国が日本を「唐マニア」に変えた(5)
「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年11月26日