文=徐光裕(解放軍少将)
わが国の国力は平和な時代に急速な発展を遂げた。だが、人びとは憂慮し始めている。これほど長期にわたり人民解放軍はいかなる戦いもしておらず、将来も戦いをする機会がない中、若者たちの「実践能力」はどこから来るのか。
私はこうした疑問が生じるのは正常だと考える。軍隊は実践能力を持とうとしなければならず、実践という訓練と試練を経てこそ本物だ、と人びとは理解している。一部先進国の軍隊が、武器や技術、装備が精鋭であるだけでなく、ともすれば様々な「理由」をつけて外国に戦場を切り開こうとするのを目にすると、気持ちは極めて不均衡な状態となる。彼らはそのために極めて大きな政治、社会及び経済的代価を払ってはいるものの、それはどんな試験場、練兵場であれ提供不可能な最も実際に即した機会だと言える。
そうであれ、我々の国が実行しているのは「積極的な防衛」という国防戦略であることを忘れてはならないことだ。従って我々は、ある覇権主義国家のように、口実を設け、戦争を通じて政治的目的を達成すると同時に、軍隊の実践能力の向上を図ってもならない。
先ず、一旦、不可避な軍事衝突や地域紛争が生じた場合、科学的且つ少しの躊躇もなく臨戦態勢を整え、軍隊の利益を優先する。わが軍がこの面で得た経験と成功は非常に多い。
次に、平時の戦備態勢と準軍事行動への参与を強化する。例えば、海上・空中巡回や海上国境の防衛、漁船・商船などの護衛、犯罪・暴動の取締りなど。とくに四川省汶川大地震のような大規模な救援活動は、最も実践に近い過酷な環境での非作戦のケースであり、救済活動に参与する軍隊にとって、ヒトからモノ、さらに心理面から生理面に至るまで、いずれも全面的且つ厳格な試練、訓練を受ける。こうした低強度な軍事活動は軍事的衝突や戦争という行動に有利だが、むしろ平時に軍隊の実践能力を最も頻繁に、最も実践に近づける上で有効な方法だ。