清王朝藩属国時代
東京を訪れた琉球国の使者
1654年、琉球国王は中国の清に使臣を派遣し冊封を求める。清王朝の順治帝は尚質王を琉球国王に封じ、琉球は清朝の藩属となる。
1853年5月、米国海軍准将・ペリーの艦隊が琉球に来航。
1854年3月、ペリーは日本と「神奈川条約」を締結。ペリーは日本に対し、琉球の那覇港の開放を求めるが、日本側は「琉球は遠い国であり、日本側にはその港の開放を決定する権利はない」とした。
1854年7月11日、ペリーは日本との交渉が終了した後、琉球へと急ぎ戻り琉球国政府と交渉。最終的に、中国語、英語の2言語で正式に条約を締結し、那覇港が開放される。
1866年、最後の琉球国王、尚泰が王位を継承。
1872年、日本は琉球王国が日本に属する“内藩(令制国)”であり、琉球諸島は日本の領土であると宣言。1372年に始まる中国の琉球に対する宗主国の地位を認めず公に琉球を侵略し、かつ、中国との琉球問題の交渉の引き延ばしを図る。
1875年7月24日、日本は琉球国王に対し、清王朝への朝貢の停止を強制。
1879年3月30日、日本は最後の琉球国王・尚泰に上京を命じ、琉球に沖縄県を置く。琉球王国は滅亡する。
後琉球王国時代