歴史資料によると、100年ほど前の日本では、女性の化粧に対して厳しい規定が設けられていた。当時、貴族の女性は40歳になると、歯を黒く染める「お歯黒」をして、眉毛を全て剃り、女性としての特徴を隠さなければならなかった。それが、花盛りの終わりを告げる証だった。
時代が移り変わり、女性の地位が高まると、明治政府はこの規定を廃止し、女性は好きなようにおしゃれを楽しむ事できるようになった。
戦後になると、国民生活は徐々に裕福になり、欧米から様々な化粧品が持ち込まれ、メイクも西洋の真似をするようになった。そして、日本は独自にそれを研究し、「東洋の美女」と言われるまでに進化させたのだ。