文=元中国駐大阪総領事、中日韓経済発展協会会長 王泰平
2010年は釣魚島をめぐる争いが中日関係を突然悪化させた。この出来事は、双方の力関係が変化する中で日本が精神的にアンバランスになったことを際立たせただけでなく、日本人の中国観が歴史的変化を遂げていることも示している。「解放日報」が伝えた。
3つの歴史的変化
日本人の中国観はこれまでに3回変化している。最初の変化は、唐王朝が衰退に向かってから、日本が894年に遣唐使を廃止したとき。2回目の変化は、足利義満の時代の1373年、明は使節団を京都に遣わし、足利幕府と中国が国交を再開したとき。3回目の変化は、1894年に日清戦争で清が日本に破れ、日本人が中国を蔑視し始めたときだ。
3回の日本人の中国観の歴史的変化を振り返ると、いずれも両国の国内の変化や国際秩序の再編と密接に関わっていることがわかる。また、実力関係の変化は、意識を変える主な要因である。
4回目の変化
実力関係の変化により、20世紀末から現在まで、日本人の中国観は4回目の変化を遂げており、新たな視点で中国を観察し始めている。また、多くの人が中国の経済発展や軍事力の増強を目の当たりにし、日本のアジアトップの地位が揺らいでいると感じ、自信をなくし困惑し、中国とどう付き合うべきかわからなくなっている。日本社会には中国に対し納得しない、心配、不安、恐怖、焦りなど複雑な気持ちが溢れている。中国の今後については、日本国内にさまざまな見方があり、中国を中長期的な脅威と見ている人も多い。
これについて、シンガポール紙「聯合早報」は次のような見解を示している。日本は対中外交で2つの致命的な過ちをした。一つは戦略的位置づけの過ちだ。日本は中国を潜在的な敵またはライバルに位置づけている。日本は優位に立つことに慣れ、外部からの圧力や攻撃を常に心配している。もう一つは自分を高く見て、中国を尊重しないことだ。日本は相手の立場に立って考えず、中国政府の政策や中国人の気持ちをしっかり理解しようとしていない。
日本の対中外交の位置づけはまだはっきりしていない