安定の中での前進を求める中日関係

CIIC  |  2007-09-29

安定の中での前進を求める中日関係。1978年以後の20年間、内外情勢の変化につれて、中日両国の友好関係は絶えず発展し続けると同時に、厳しい試練に直面してきた。今後、新しい日本政府が福田康夫首相の指導の下で、引き続き「平和主義」の対アジア外交政策を推進することであろう・・・

タグ:安定の中に前進を求める中日関係

発信時間:2007-09-29 10:43:02 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

特集:中日国交正常化35周年

1972年9月29日、『中華人民共和国政府と日本国政府共同声明』の調印式が北京人民大会堂で盛大裏に行われた。1978年8月12日、『中日平和友好条約』の調印式が北京で行われ、同年10月23日、『中日平和友好条約批准書』の交換式が東京の首相官邸で行われたあと、『中日平和友好条約』が発効した。

その後の20年間、内外情勢の変化にともない、中日両国の友好関係は絶えず発展し続けると同時に、厳しい試練にも直面してきた。1998年、中日両国は『平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する中日共同宣言』を発表し、新たな世紀における中日関係の発展の方向を明示した。ここ5年来、中日双方は既定の目標に向かって前進しているが、具体的な戦略的目標などの面で、ズレが生じ、相互信頼が傷ついた。このため、中日関係は国交正常化以降、最も困難な時期に入った。もちろん、この時期は中日関係が「理想」から「現実」へ転換し、絶えず成熟してきた時期でもある。中日国交正常化35周年を記念するにあたり、その発展の歴史を振返ると同時に、現在の得難い安定した状態を大切しなければならない。戦略的安定は中日関係を発展させるための基礎、戦略的互恵は中日関係を発展させる前提であり、戦略的相互信頼は中日両国の「戦略的互恵関係」を構築する確固たる保証である。

中日関係の安定した発展は、二国間関係に影響を及ぼすばかりか、世界の平和にも影響を与えている。日本国首相になったばかりの福田康夫首相は1993年に、「日中友好は世界の平和のためである」、と語った。中日関係の安定した発展、中日両国の平和的共存は、アジアの発展と繁栄にとって不可欠の要素だ、と言える。1977年8月18日、当時の福田赳夫首相はマニラで、東南アジア外交3原則を発表した。①(日本は)軍事大国にならない②東南アジア各国と、経済面や政治面での信頼関係を構築するのみならず、社会、文化など幅広い分野において、心と心の触れ合う信頼関係を構築する。③対等な協力者という立場から、アジアの平和と繁栄に貢献する。これは福田ドクトリンとも呼ばれている。今後、新しい日本政府が福田康夫首相の指導の下で、引き続き「平和主義」の対アジア外交政策を推進することであろう。

安倍首相の「氷を砕く旅」と温家宝総理の「氷を融かす旅」は、中日首脳間の外交の回復、安定した中日関係の構築のために確固とした基礎を打ち固めた。中日政府が安定した基礎の上で、両国関係のさらなる発展を促進し、その発展の中で、すべての問題が解決されることを願っている。「作者は中国社会科学研究院の王塀研究員」

「チャイナネット」2007年9月29日

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