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関係者が語る中国政治協商制度の60年間
発信時間: 2009-09-03 | チャイナネット

          呉建民氏:中国30年来の外交の変遷を語る

1952年に大学卒業後に外交部に採用され、毛沢東や周恩来など指導者の通訳に、そして90年代、国連で中国代表団を率いて少数の国が提出したいわゆる「中国の人権状況」をめぐる反中国決議案を何度も廃案に追い込み、さらには駐仏大使を務めていた時に同国最高位のレジオンドヌール勲章を授与される……。その履歴の華々しさは、枚挙暇のないほどだ。40数年におよぶ外交官としての生涯で、呉氏は新中国の成長という奇跡を自ら目にし、改革開放以後の中国外交の変遷をも体験した… 全文へ

 

         周鉄農氏:多党派協力制度が30年の政治的安定を保障

中国が30年にわたり政治の安定を確保できたのはなぜか。全国人民代表大会(全人代)常務委員会副委員長で、民主改革中央の周鉄農・主席は、なかでも重要な理由は、中国共産党が指導する多党派協力・政治協商制度を有し、絶えず改善したことである。この制度と人民代表大会制度、民族地域の自治制度、基層大衆の自治制度がともに中国30年来の政治的安定と発展を保証してきた… 全文へ

 

            万鋼氏:科学技術進歩30年を検証

1978年から実施した改革開放政策により、中国の科学技術はその発展に向けた軌道に質的な変化が生じた。以来、中国は「科学技術は第一の生産力」とする戦略思想を確立し、科学技術難関突破要プロジェクトを積極的に制定、実施し始め、技術の発展と人材の育成にプラスとなる制度の確立に努めてきた。全国政治協商会議(政協)副主席で致公党中央主席、科学技術部長の万鋼氏は、まさに改革開放の過程で続々出現した1千万人を数える人材のなかでも傑出した代表だと言える… 全文へ

 

     徐徳明氏:工会が労働者の利益を擁護し、企業発展を促した

全国人民代表大会(全人代)常務委員会は04年、「工会(労働組合)法」の執行について大規模な検査を組織した。そして最終的に、現在の工会は、第1に設立の難しさ、第2に権限維持の難しさ、第3に経費納付の難しさ、という3つの大きな難題に直面していると指摘する報告書をまとめた。この2年近くの間、「外資系企業が工会を設立」や「出稼ぎ農民が工会を設立」といったニュースが頻繁に見られるようになったことで、「工会」という単語が再び注目され始めた。徐徳明氏は中華全国総工会副主席を務めた。こうした状況について「この変化の背後にあるのは、中国の工会が経験してきた転換の難しさだ」と指摘する… 全文へ

 

     オーアンリ氏:マカオ生まれのポルトガル人が初の政協委員に

第11期全国政治協商会議委員で、マカオ大学の弁護士、オーアンリは共通語が余り得意でないため、英語によるインタビューを望んだ。多くの若い「土生葡人」(マカイエンサ)と同様、1957年生まれのオーアンリはマカオのポルトガル語で授業する高校を卒業後、リスボン大学に進学し、法律を専攻。81年にポルトガルで結婚したポルトガル籍の妻も一緒だった。母方の祖母が広州の人、母が香港人なので、広東語は流暢だ。オーアンリは「マカオが祖国に復帰する全過程を目にし、また参与してきました。私やほかのマカイエンサの友人たちは、すべてのマカオ人と一緒に仕事をして、より麗しい未来を築くことに喜びを感じています」と語った… 全文へ

 

     馮驥才氏:ヒューマニズム精神のルネサンスが何より重要

著名な作家、文学者、芸術家、民間芸術の救済に取り組む馮驥才氏。現在、中国民主促進会中央副主席、全国政治協商会議(政協)常務委員会委員などを務める。この数年、中国民間文化遺産の保護・救済事業に従事しており、国内はむろん在外中国人社会にも大きな影響を及ぼした… 全文へ

 

           楊海坤氏:民主の樹木に深く厚い土壌を

楊梅坤氏は蘇州生まれ。この20年来、政治学や法理学、憲法学、行政法学などの研究に従事してきた。楊氏は「末端層の民主と大衆自身の利益は直接関係しており、じかに触れられる民主を目にすることができる、と言えるだろう。従って、末端層の民主をうまく行うということは、民主を国の隅々にまで拡大させ、社会全体に調和ある雰囲気を浸透させることができること意味している。言葉を換えれば、末端層の民主は民主の礎であり、礎が安定すれば、国の民主も強固になる」と指摘… 全文へ

 

          李金華氏:会計検査で法に基づく行政を推進

1998-08年まで国家審計長(会計検査院の院長)を務めた。現在、全国政治協商会議副主席。今回の取材で、会計検査は民主と法制の整備、清廉な政治の整備、行政の公開・透明度の推進などで重要な役割を果たしてきた、と自らの経験を語った。李氏が検査院の院長に就任したのは85年9月、それからすでに23年になる。李副主席はこう語る。「審計署は83年9月に設立されましたが、それはまさに改革開放の産物でした。それ以前、計画経済の時代には独立した会計検査制度などはありませんでした」… 全文へ

 


 

         中国初の合弁企業 第一人者・伍淑清女史「ゼロを突破」

第10期全国政治協商会議(政協)常務委員会委員、香港の女性企業家である伍淑清女史は中国のために歴史の一頁を切り開いた。当時、女史が設立した北京航空食品有限公司は国家工商行政管理局の保存文書で00-という登録番号が付けら、人々はユーモアを交えて「天字第一号」と呼んだ。中国初の合弁企業として、伍女史は幸運にも外資導入の大門を初めて開くことになった…全文へ

 

 

          李金華氏:会計検査で法に基づく行政を推進

 

1998-08年まで国家審計長(会計検査院の院長)を務めた。現在、全国政治協商会議副主席。今回の取材で、会計検査は民主と法制の整備、清廉な政治の整備、行政の公開・透明度の推進などで重要な役割を果たしてきた、と自らの経験を語った。李氏が検査院の院長に就任したのは85年9月、それからすでに23年になる。李副主席はこう語る。「審計署は83年9月に設立されましたが、それはまさに改革開放の産物でした。それ以前、計画経済の時代には独立した会計検査制度などはありませんでした」… 全文へ