戦後日本における米軍向け慰安婦の悲惨な生活(2)

戦後日本における米軍向け慰安婦の悲惨な生活(2)。 「正常」に営業を続ける慰安所の慰安婦たちの状況は悲惨で見るに堪えないものであった。かつて慰安婦として働いていた若い女性・マリー(仮名)は日記に次のように記している。「昼も夜も米軍兵はガムを噛みながら外に並んでいる。女たちは部屋の中で監禁されているのと同じ。拒否する自由など全くない」…

タグ: 戦後 日本 慰安婦 パンパン オンリー

発信時間: 2010-07-27 13:13:22 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

戦後日本における米軍向け慰安婦の悲惨な生活(1)

 

「正常」に営業を続ける慰安所の慰安婦たちの状況は悲惨で見るに堪えないものであった。かつて慰安婦として働いていた若い女性・マリー(仮名)は日記に次のように記している。「昼も夜も米軍兵はガムを噛みながら外に並んでいる。女たちは部屋の中で監禁されているのと同じ。拒否する自由など全くない」「一番多い時は1日に55人も相手にした。人間だという感覚はもうなかった」「小町園には当初、慰安婦が30人いたが、3カ月働いたのは半分だけ。すぐに100人の新しい慰安婦が送り込まれ、次々に犠牲者が出た」。

慰安所で働く女性たちが「大和民族の血統の純潔と永続」のために苦しい思いをしている時、日本の上層社会は一体何をしていたのだろうか。

日本の皇室および国会、議会の上層部は秘密裏に命令を出し、皇族、華族、財閥などの良家の女性の外出を厳しく規制し、彼女たちが辱めを受けることなく、その純潔を守るためにあらゆる手段を講じた。

さらに、人間性を失った商人も存在した。彼らは飢えた狼よりも残忍で貪欲だった。第2次世界大戦中は、戦争を推し進めた傲慢な右翼関係者であったが、戦後再び姿を変え私利のみを追求する商人となり、RAAの事業に積極的に参加した。そして、慰安婦たちの犠牲の上に金儲けをし、利益をほしいままにした。

だが、こうした慰安婦制度は1946年に廃止された。慰安婦たちにとって幸だったのか不幸だったのか知ることはできないが、彼女たちはこの道に足を踏み入れてからは信仰していた天照大神にも見捨てられ、地獄に身を置きながら次第に零落し、静かに自滅していった。

慰安制度廃止にはいくつかの要因が影響を与えていた。

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