対等な付き合い、相手の身になって考えること。これは道義をわきまえた者にとって、最も基本的な行動方法だ。なぜ一部の者は、あくまでもこの道に反した行いをするのか?不名誉な「砲艦外交」への執着だろうか?超大国による覇権という冷戦思考の復活だろうか?他国の発展と強大化にびくびくしているのだろうか?自らの実力に「超」自信がないのだろうか?自らを欺き、泥棒が他人を泥棒呼ばわりするようなペテンに常に内在するロジックが、一体どのような心理的問題によるものなのかは、当事者がよく分かっているはずだ。
人類史上、各国の安全保障が今日ほど緊密につながりあったことはない。安全保障の中身は拡大を続けている。従来型の安全保障上の脅威と非従来型の安全保障上の脅威とが入り交じり、政治・軍事・経済・文化など多方面に波及して、各国に共同の試練を構成している。これには総合的手段による共同対応が必要だ。安全保障は孤立的でも、ゼロサム的でも、絶対的でもない。世界と地域の平和・安定なしに、一国の安全・安定はない。相互信頼・相互利益・平等・協力の新安全保障観は時代の要請であり、歴史的必然でもある。
米国のジョージ・ワシントン初代大統領は退任演説の中で、米国は全ての国に対して、公正で、調和的な感情をもって接するべきだと諄々と諭した。それから200年余り後の現在、この政治家の名を冠した空母は、黄海で一体何の力を誇示しようとしているのか?これはワシントン大統領の後世の人々がはっきりと説明しなければならない問題であり、世界各国の平和を愛する全ての人々の共通の考えでもある。
「人民網日本語版」2010年8月9日