その後、中国国内では国民党と共産党との内戦が起こり、国際的には米ソ冷戦が始まった。1949年中華人民共和国後、「反右派闘争」、「大躍進運動」及び文化大革命など嵐のような時期が続き、 「濰県収容所」が人々の記憶から徐々に消えていった。
しかし、この特別の歴史は収容された人々にとって忘れがたい記憶である。また、収容所を知っている現地の人々も忘れていない。2005年8月17日、「濰県収容所」解放60周年記念に際し、収容所の旧跡で記念活動が行われ、当時収容所に拘禁された欧米人67人が60年ぶりに再会を果たした。
それからまた5年が経った。終戦65年を迎える際にこの歴史的事実を日本側にも伝えたいとの思いで筆をとった。「濰県収容所」の全貌については未解明の部分がなお多く、今後の更なる資料の発掘と検証が待たれる。
(文責 王偉彬)
著者略歴 1957年5月生。1989年北京大学大学院国際政治学科修了(修士)。山東省教育委員会と国家教育委員会勤務後、1991年留学で来日。大阪大学大学院博士前期課程(修士)と京都大学大学院博士後期課程(博士)終了後、2001年に広島修道大学法学部助教授、2004年に教授。専門は中日関係・東アジアの国際政治及び比較文明論。2005年にハーバード大学東アジア研究センター客員研究員。主要著書は『中国と日本の外交政策― 1950年代を中心にみた国交正常化へのプロセス―』(ミ ネルヴァ書房、2004年)などがある。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年8月26日