上述のような比較分析は、目下のところ中国はまだ発展途上にあり、中流社会を構築している段階に過ぎないのだ、という冷静な認識を我々にもたらす。
このことに鑑みれば、我々はやはり、1980年代の日本が「ほめ殺し」にされたという教訓を生かさなければなるまい。当時、日本と米国の経済力の差は縮まり、『Japan as No.1』という本が米国経済はすでに多くの面で日本に敗れていると指摘したり、ソロス(George Soros)もまた「世界の経済・金融パワーは今後米国から日本へと移っていくだろう」と予言したりしていた。そしてその頃、至る所で「日本脅威論」とか「日本が米国を買う」、あるいは「日米大逆転」などといった、気ままでセンセーショナルな触れ込みの書籍やメディア報道が氾濫した。
経済の急速な成長とメディアの過剰なまでの誇張報道の影響下で、「Japan as No.1」という「ほめ殺し」の中にあった日本国民の自信は急激に増長した。そしてそれに伴って膨張した株式市場と不動産市場のバブルは相次いで崩壊し、日本は「失われた十年」へと陥いることとなったのである。我々は断じてこれと同じ轍を踏んではならない。
したがって、我々は日本のGDPを追い抜いたことの意義について考え、冷静な意識を保たなければならない。なぜならば、現時点での中国経済発展の総合的な水準は世界のトップに遠く及ばないものであるからである。中国はこれから先進国に追いつき追い越さなければならないが、そのカギとなるのは安定的速度の発展を保ちつつ発展の質も向上させていくことができるか否かである。これこそがまさに、今後中長期的に我々の仕事の重点となるだろう。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年9月1日